書評Books あるがままに抱かれる「いのち」の証し

NCC教育部総主事 比企敦子

 

『いつか笑える日が来る  我、汝らを孤児とはせず』
奥田知志 著
B6判 1,500円+税
いのちのことば社

本書は、奥田知志さんが過酷な状況の中で出会った方々との、いのちの証言であり出会いの物語だ。読み進めていくうちに奥田さんの出会いに私たちも出会わされていく。ホームレスの竹さんは、毎晩寝る前に「もう目が覚めませんように」と祈るという。ひもじさ、寒さ、恐怖、孤立は人から尊厳を奪い、死をも願わせる。

二〇〇三年に結成された「生笑一座」の一行は、興行を通して小学生たちに語りかける。「助けて」と言えた日が助かった日だよ、と。今や子どもたちも貧困や虐待に直面しているからだ。誰もが「助けて」と言えなくなった社会。「助けて」と言ってはいけない教育がなされている。人に迷惑をかけないという「自己責任論」が日本社会を闊歩している。

「抱樸館」は二〇〇七年に下関に誕生した。「傷つき、疲れた人々が今一度抱かれる場所─抱樸館。人生の旅の終わり。……人は、最期にだれかに抱かれて逝かねばなるまい。ここは終焉の地。人が始めにもどる地─抱樸館」(一七三頁)。「樸」とは原木・荒木を意味し、「抱樸館」とは原木を抱き合う人々の家とのこと。奥田さんは大学生の頃に、作家住井すゑさんの文書でこの言葉を知ったそうだ。住井さんは一九七八年、自宅敷地内に「抱樸舎」を立て、多くの人が人の尊厳について学んだという。

一見不格好な原木であっても、それぞれが個性や可能性を秘めている荒木。他と比べたり、優劣をつけたりする必要もない私たちのいのちと同じだ。それゆえ、誰もが抱かれてこの世に誕生したように、私たちはまた等しく抱かれていのちを終える存在なのだと……。

本書の後半Ⅱ「軒のある風景」は、深い思索に裏づけられた牧会書として読みたい。「いや、あなただ─罪の外在化について」や「神の前に神と共に、神なしに生きる─三・一一後を生きる信仰」など、私たち自身の信仰が鋭く問われる。ホームレス支援活動を「十字架の赦しを必要としている罪びとの運動」と言い切る奥田さんの信仰と、その姿勢に連なる者でありたいと願う。