日常の「神学」 今さら聞けないあのこと、このこと 第6回 献金と教会

岡村 直樹
横須賀市出身。高校卒業後、米国に留学。トリニティー神学校を卒業し、クレアモント神学大学院で博士号(Ph.D.)を取得。2006年に帰国。現在、東京基督教大学大学院教授、日本福音主義神学会東部部会理事、hi-b-a責任役員、日本同盟基督教団牧師。

 

多くのクリスチャンにとって「献金」は、新しく教会に来た人に対して最も気を遣うことのひとつかもしれません。「教会はお金儲けの場所ではないから、変に誤解されたくない」というのが大きな理由でしょう。

確かに教会の目的は、お金を儲けることではありません。しかし、ほとんどの教会が、牧師の給与を含め、教会全般の運営を「献金」によってまかなっているのも事実です。では、クリスチャンは「献金」についてどう考えるべきでしょうか。

まず大切なことは、お金を含め、人間が自分のものと思っているものすべては、もともと人間のものではないという認識を持つことです。「地とそこに満ちているもの世界とその中に住んでいるもの それは主のもの」(詩篇24・1)と聖書に書かれているからです。その上で神様は、私たち人間にそれらを管理する責任を与えてくださいました。エデンの園の管理がアダムとエバに任されたように(創世1・26〜29)、私たち人間は、地上にあるすべてのものを、自分のものとしてではなく、神様のものとして管理する立場にあるのです。

では、お金を含めた財産の管理者である私たちは、それをどう用いることができるでしょうか。人間社会の常識では、管理者は自らが管理を任されている財産に対して、それが自分のものであるかのように手を付けることは許されません。しかし神様は違います。神様は人間一人ひとりに管理を任せている財産の大半を、自分の必要のために使ってもいいですよと言われます。その上で、しかし十分の一だけは私に返しなさいと言われるのです(レビ27・30、マラキ3・6~12)。聖書の神様は、なんと太っ腹なお方でしょう。

十分の一をささげるということに関して、キリストご自身もそれを「おろそかにしてはいけない」(ルカ11・42)と語っておられます。しかし一方で、「わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは、ミント、イノンド、クミンの十分の一を納めているが、律法の中ではるかに重要なもの、正義とあわれみと誠実をおろそかにしている」(マタイ23・23)と語り、警鐘を鳴らしています。

律法学者やパリサイ人たちは、十分の一をささげることを忠実に守っていましたが、そのような自分の行いを人々の前で大いに自慢し、さらに守ることができない人々を見下していたのです。

現代のクリスチャンが「献金」に対して律法的になるとはどういうことでしょうか。それはたとえば、以下のようなことかもしれません。「十分の一さえささげていれば安心だ」「残りはどう使っても自分の勝手だ」「十分の一をきちんとささげていることを、牧師や教会の人にぜひ知ってもらいたい」「十分の一をささげているのだから、私には教会の中で発言権があるはずだ」「十分の一をささげていないクリスチャンは尊敬に値しない」。このような考え方や態度は、当時の律法学者やパリサイ人の考え方や態度に共通しています。そして神様を大いに悲しませるでしょう。

では私たちは、どのような態度で「献金」をすべきでしょうか。パウロは以下のように語っています。
「一人ひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は、喜んで与える人を愛してくださるのです」(Ⅱコリント9・7)。

キリストも、最も価値の低いレプタ銅貨二枚を献金箱に入れた貧しい女性に対し、「だれよりも多くを投げ入れました」と言われました(マルコ12・42〜44)。「献金」に関して最も大切なのは、その額でも、厳密な割合でも、人からどう思われるかでもありません。ただ心から喜んで、感謝を込めて神様にささげるということなのです。

聖書には、「献金」の使い道に関する具体的な記述もあります。旧約聖書の中には、十分の一のささげものを、レビ人を養うために使いなさいと書かれています(申命12・17〜19)。レビ人は、土地からの収入源を持たず、祭司として神様に仕える部族でした。現代の教会では、牧師や宣教師、またさまざまな形で神様に仕える人やグループを指すでしょう。旧約聖書には同様に、寄留者、孤児、やもめといった社会の中の弱い人たちも、レビ人と一緒に養われるべきであると書かれています(申命14・28〜29)。

現代の多くの教会では、教会堂や土地の購入のために多額の「献金」が用いられます。決して間違いではないと思いますが、「神様に仕える人々を十分にサポートしているか」また「地域社会の弱者をケアすることにも予算が用いられているか」といった問いかけを通して、献金の使い道を常に確認することも必要です。