343 時代を見る眼 小さな命と共に生きる〔1〕かたわらに立つキリスト

NPO法人みぎわ 理事
松原宏樹

私には、忘れられない思い出があります。それは、今から十数年前にテレビのニュース番組でなされていた報道の内容です。
1歳と3歳の子どもを家に閉じ込め残し、シングルマザーのお母さんは彼氏のもとへ行きました。何日もたって家に帰ってみると、子どもたちは二人とも亡くなっていました。その中で、子どもたちが最後に食べたであろう胃の内容物が報道されていたのです。
「マヨネーズと段ボール」。あまりにも衝撃が強く、そのあと考えることができないほど、呆然としました。
神は本当にいるのだろうか。神が愛であるならば、この子どもたちが絶命する時の祈りを聞かなかったのか。神はこの短い命、小さな命にどんな計画を持たれていたのか―。
その後、いろんなことが頭の中をよぎりました。一番最後にたどりついたことは、それではクリスチャンであり牧師である私は、このような子どもたち、また育児がたいへんであろうお母さんやその家族に、本当に寄り添ってきたのだろうか、という問いでした。
牧師として、講壇から神の愛と力を語りながら、何もしていない醜い自分の姿がそこにありました。傷つくことを恐れ、失敗を極端に恐れ、自分の安全地帯からけっして出ようとしない、本音の私。いつも、「時ではない」「みこころでない」「賜物がない」等の言葉により、自分で自分の良心をだまして全く神の心に寄り添っていなかったのは私ではないかと思わされたのです。
再献身の思いで、小さな命を救う働きに身を置くことになりました。現在、中絶により命を失う子どもは年間約17万人。施設養護の子どもは4万6千人。虐待により命を失う子どもは、1週間に1人と言われています。
そして、なにより「望んだ妊娠」なのに、お腹の中にいる時に障がいや病気がわかると「望まない妊娠」に変わり、障がいや病気の子どもはすぐに中絶対象者に変わる日本の現実。中絶や自らの手で命を絶つことをせず、赤ちゃんの命を守ってほしい。これを止めて、幸せを提供できるのは、真の神の福音とそれを持ち運ぶクリスチャンだけではないかと思います。
私も50歳を過ぎて孫がいてもおかしくない年になりましたが、特別養子縁組によりダウン症と難病の2人の子どものお父さんになりました。そして、知りました。このような子どもこそ、福音が必要であり、いえ、このような子どもの後ろにはキリストが立っておられる、ということを。