特集 LGBTを考える 福音派との対話への架け橋

昨今、よく耳にするようになった「LGBT」(Lesbian, Gay, Bisexual, Transgender)。教会として、キリスト者として、同性愛の問題をどのように考えればよいのだろうか。五月発売予定の『LGBTと聖書の福音』(アンドリュー・マーリン著)の出版を機に、LGBTについて考える。

 

『LGBTと聖書の福音』訳者  岡谷和作

聖書を正しく解釈し、適用するためには、当時の文脈や言語を理解することが重要です。同様に、本書を理解し、日本の教会の文脈に適用するためには、LGBTにまつわる言語、またアメリカという文脈を知ることが重要になります。それが状況の異なる日本の教会と本書の橋渡しとなることを願います。

LGBTをめぐる二極化
本書は「アメリカの福音派」という文脈の中で書かれています。LGBTをめぐり、アメリカ社会は大きく分裂しています。

―多数派だった教会が、社会的弱者であるLGBTコミュニティを長らく抑圧してきた。そして今、LGBTコミュニティは不当な抑圧に対して立ち上がった―

このように、メディアではLGBTコミュニティと教会の対立構造を公民権運動の再来かのように描いています。教会のLGBTコミュニティに対する態度について、単純化はできません。しかし、教会によって弾圧され傷を受けた経験を告白するLGBTコミュニティの人々が多いことは事実です。
また教会内でも、いわゆる主流派教会と福音派教会の二極化はますます広がっていますが、その最大の課題はLGBTにまつわる教会の対応です。それは単に神学の問題としてではなく、アメリカの若者たちにとってリアルな課題です。「同性婚に反対か賛成か」というような議論は、中高生や大学生の間で日常的に行われ、その返答によってレッテルが貼られていきます。

保守的な教会は伝統的な聖書観を重んじ、同性婚に関して明確に反対の立場を取っています。一方で、「同性愛者は処刑されるべき」というメッセージを語る牧師の姿や、カミングアウトしたことで家族から勘当され、自死に至った高校生の実例などが報道され、福音派は非寛容な差別主義者であるというイメージが社会全般に広がっています。LGBTはもはや人権問題として認識されているのです。

このような激しい怒りの応酬とも言えるような二極化したアメリカの状況の中、二〇〇九年にこの本は執筆されました。原題はLove Is an Orientationですが、そこには愛こそがクリスチャンの指向性であるべきという著者のメッセージが表れています。

保守的な福音派出身のマーリン氏は、マーリン財団を設立し、LGBTのコミュニティに福音を伝える働きを続け、福音派教会とLGBTコミュニティとの架け橋となるべくアメリカ中で講演をし、注目を浴びました。

本書は保守的なキリスト教出版社として知られるInterVarsity Pressから出版されました。当時、保守的な立場からLGBTコミュニティへの橋渡しを試みた書籍は非常に珍しく、本書は年間ベストセラーとなり、賞を多数受賞しました。また二〇〇九年のアーバナ学生宣教大会では同テーマで分科会を担当されています。そしてマーリン氏は、FAITH紙により「今後二十五年間で最も影響力のあるクリスチャン」のうちの一人に選出されました。

 

聖書解釈の解決でなく福音宣教の証しとして

重要な点は、本書は同性愛にまつわる聖書解釈を解決するための聖書神学の本でも、教理を体系的に記した組織神学の本でもないということです。むしろ著者のマーリン氏はあえて聖書解釈の議論を避けています。それはこの本の執筆目的が聖書解釈を論じることではなく、「どうすればLGBTコミュニティに福音を伝えられるのか」という宣教的視点に立っているからです。そのため読み進めていく中で、聖書解釈における物足りなさや見解の相違を感じることがあると思います。正直、私自身も一部同意できない解釈や、根拠が弱いと感じる部分はありました。

しかし、この本は聖書解釈の教科書としてではなく、保守的な教会で育った著者が、LGBTコミュニティに福音を伝えるために奮闘した証しであり、宣教のケーススタディとして読まれるべきだと思います。それは異教の地に住み、その国の文化と言語を学び、その国の人々と福音の橋渡しを試みた宣教師の宣教報告にたとえることができるでしょう。

宣教報告との違いは、LGBTコミュニティは遠くの世界に存在する人々ではなく、私たちの身の周りに実際に存在している隣人であるという点です。その点において、本書はただの宣教報告としてではなく、読者自身がLGBTコミュニティを宣教地として捉え、新しく宣教の一歩を踏み出すようにとチャレンジを投げかけます。

 

橋の双方からの批判

大きな反響があった本書ですが、同時に様々な批判を受けた本でもあります。主流派の同性愛容認派からはアンドリュー氏が羊の皮をかぶった差別主義者であると批判され、福音派からは聖書解釈においてリベラルであると批判されました。橋は双方から踏まれると本人が本書の中で述べているとおりの評価を彼自身が受けました。

アンドリュー氏に聞くと、「当時はプロゲイ(同性愛賛成)の立場に立つか、同性愛者をキリスト教から一切排除するか、両極端の選択肢しかありませんでした。私はそのどちらにも立ちたくなかったのですが、その立場は当時許されないものでした」と回想されていました。しかし、彼の働きが福音派教会とLGBTコミュニティの対話に向けて一石を投じたことは評価されるべきでしょう。何より、彼の働きを通して信仰に導かれたLGBTコミュニティの人々が大勢いることは忘れてはならない点だと思います。

現状では日本語で読める同性愛とキリスト教に関しての書籍は、ほとんどがプロゲイ神学の視点で記されたものです。このテーマに関しては、福音的な教会の中ではいまだにタブー視され、教会の中で語られることが少ないのが現状ではないでしょうか。しかし私自身、学生宣教の現場で実感したのが、LGBTの問題は学生たちにとって、リアルで身近な問題となっているということです。
福音的な、聖書的な立場に立ちつつ、真摯にLGBTコミュニティについて学び、LGBTコミュニティを宣教地として、愛し仕えるべき隣人として捉えること、そのために教会として様々な面で備えていくことが必要だと痛感しています。
(本書「訳者あとがき」より抜粋・構成)