特集 心に刻む聖書 みことばを正しく記憶する「聖句暗唱」の恵み

調布聖書バプテスト教会教会員  那須まゆみ

私が教会員として集っている教会は、アメリカ人宣教師ご夫妻によって開拓された教会です。二〇一九年十月に創立五十一周年を迎えました。
日曜学校では、幼児から大人まで六クラスに分かれて同じテーマで学び、各クラスに一週間で覚える聖句が与えられます。
日曜以外にも壮年会、青年会、婦人会に加え、高齢者の集まりもあり、そこでも聖書を学んでいます。
教会付属の幼児園の子どもたちは日々みことばに触れて成長しています。幼児園の卒園児が成人し、そのお子さんたちが幼児園に通っているという、大変恵まれた教会です。

信仰歴四十年以上のKさんは、バイブルクラスで与えられた暗唱聖句をノートに書き留め、折にふれて音読し、暗記に努めておられますが、発表となると、内容は把握していても言葉を正確に言い表すことに困難を感じるそうです。
年を重ねるにつれて、記憶力の低下を実感。四十年前に覚えた聖句は心の中にはっきり留まっているものの、当時は口語訳聖書や文語訳聖書を使用していたため、新改訳第三版、そして現在の『新改訳2017』へと翻訳の変更があり、覚え直すのに苦労されています。が、「年老いても頭を切り替え、新しいことにチャレンジするよう主から与えられた課題」と前向きに捉えておられます。
私たちの教会の婦人聖書研究会(以下、婦人聖研)では、聖句暗唱のテキストに、100 Bible Verses Everyone Should Know by Heart(邦訳『これだけは覚えておきたい聖書の言葉100』〈いのちのことば社、二〇一九年〉)を使ってきました。
原書をいち早く婦人聖研に紹介したEさんは、六十代前半に聖句暗唱をスタートし、五十以上はすぐに覚えたという強者ですが、お孫さんのお世話や諸事情によって数年間中断。その後、聖句暗唱を再開したところ、以前のようにスムーズに覚えられず困っていました。
そんな時に、ディボーションで目にしたみことば、「私が行くまで、聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい」(Ⅰテモテ4・13)から、もう一度真剣に取り組むよう促されたそうです。
そして援護射撃のように、「脳の可塑性」の情報をゲット。それは、「学習(頭を使うこと)で脳の収容能力が高まる」というものでした。神様から力をいただき、心にすべてのみことばを蓄え、それを携え、いつでもどこでも友人知人とみことばを分かち合いたい、というのがEさんのチャレンジです。

教会の皆さんの覚え方はさまざまで、聖書箇所をスマートフォンに入れて暗唱する、という若い方もおられます。賛美のようにメロディーを付け、歌いながら記憶する方も。
私は教会で手話通訳の奉仕を二十年以上続けています。同じ日本語ですが、音声言語と手話にはさまざまな違いがあるため、日本語から手話に変換するためには、みことばの理解が不可欠です。聖書を読み、手話変換を考えるという作業を繰り返すうちに、気づくとみことばが心に深く刻まれていました。暗唱のための努力でなく、結果として暗唱できたことは本当に感謝なことです。
聖句暗唱の恩恵としては、説教中に語られる聖句が覚えているものであれば、余裕をもってお伝えすることができるということです。ですが、暗唱できた聖句はまだまだ数少なく、通訳中は聖書を開いて読みながらというのが現状です。高齢になっても、手話通訳奉仕は主が許してくださるかぎり継続したいと願っており、今年は暗唱作業のスピードアップが課題です。
暗唱する上で、心に留めているみことばがあります。

「私があなたがたに命じることばにつけ加えてはならない。また減らしてはならない」(申命4・2)
正しく覚え、正しくお伝えできるよう聖句暗唱に努めたいと願っています。
聞こえない方の手助けになればと始めた奉仕でしたが、その恵みとして、心に刻まれたみことばの本当の威力を知ったのは、十年近く続いた介護という試練をいただいたときでした。逃げることも、やめることもできない困難な生活を支えてくれたのは、覚えたみことばでした。
聖書を開くことも祈ることもできないほど疲れ、希望も失いかけましたが、うろ覚えであったり、断片的なものであっても、心にあったみことばの輝きは失せませんでした。
聖句暗唱の目的は一人一人違っても、そのことを主が喜んでくださり、大いに祝福してくださることは間違いありません。
主が常に共にいてくださり、聖句暗唱の旅路を導いてくださることを感謝しつつ、多くの方とこの喜びを分かち合いたいと願っています。