牧師たちの信仰ノート 最終回 戦後の歩みから見えるもの

牧師たちの信仰ノート 最終回 戦後の歩みから見えるもの

渡辺信夫(わたなべ・のぶお)
1923年、大阪生まれ。
日本キリスト教会東京告白教会元牧師。

生きていることにこそ意味があり、何かのために死ぬことに意味づけを見いだすことは人間の能力を超えた不遜な業らしいということが、戦争の経験でわかった。
戦争の無意味さを比較的早期に味わい知ったおかげで、戦争の影響から自由になり、戦後はずっと「意味ある生を生きさせていただいている」と感謝して歩んできた。
そのように私は信じ、証しし、行動してきた。こうしてかなり長寿に恵まれ、今なお生きている。では、生きさせていただいたことについて、十分なお礼返しの生涯を送ったのか、と問われるに違いない。もっともな問いなのだが、そこは恥ずかしながら期待を裏切っているのである。
どういうことかと言えば、戦争の終わりまで見、一応見るべきことは全部見た。信ずるにふさわしいことと、信ずるに値しないものとの相違はほぼ見分けた。益はたくさん受けた。しかし、わかったことの実質は、自己自身の愚かさと無力さだけである。最終戦争を締めくくる力はなかったのである。
戦後五年経たぬうちに朝鮮戦争が勃発してしまう。今度戦争になったら、三発目の原爆投下になり、それが地球の終焉になると本気で考えていたから、先の大戦で生き残った者として、戦争阻止に全力を尽くさねばならない。それは十分わかっていた。その決意が挫けたとは思えないのだが、何もできなくされる力に抑え込まれていく。
私には「人間の力を超える力によって、ついには勝利する」という意気込みはある。その力の行使は事実上できていない。信仰の放棄ではないのだが、全能者のお働きを見るためには、待つべき場所に封じ込められ、そこで「負けていないぞ」と、信仰の証しを立てて生きることになった。たぶん、多数者からは物笑いになっているに違いない。だが、どういう理由からか私には理解できていないが、宗教信仰には存立する理由がある、と信じている人もいる。
そういう力を借りて戦え、とは言えない。神の力によって、信仰をもって戦うのが正当な信仰の戦いであって、信じてもいない、何かわからぬものをあてにすることは意味がない。
戦争経験で得た学びは、私という人間を変えたのだが、たとえて言えば、巨大な容器だが中身はまだ空。そのことがわかったにすぎない。
智慧のタンクには、これから水を張らなければならない。そういうわけで、牧師としての働きを始めたのは、わりあい年を取ってからであった。
そういうことで、年を取ってからも働き続けることになったのか? そのように観察しておられる方もいるので、それが正しいかもしれない。だが、自分としては「百歳長寿」というような呼び声に調子を合わせる心算はない。もう十分人生を味わわせていただいた。
前号で述べたことだが、戦争で学んだ学びの最重要点は、「死の無意味さ」と「生きることの意味の深さ」であった。その学びが次代に移行して後、過去の戦争から受け継いだ遺産が確実に継承されたであろうか。そうではなかった。殺戮はむしろ戦後に大規模になり、悲劇はますます大規模になり、それを警告する世論だけが強化されていると見たほうが当たっている。
しかし、生きられなくて死を選ぶ人は増えていくのに、それを食い止める力は衰えゆく一方である。何もしないで、その衰えを慨嘆しておれば、自己の潔白の証しが立つというのが、昨今のキリスト教の見解なのか。
世相批判程度の直言なら論じられているかもしれない。それはそれなりの効果を認められるかもしれない。だが、教会の主が教会に命じておられるのは本来の「生きた」言葉、命の言葉であって、命の通わない機械によって発せられる代用音声ではない。自分自身の生の声、また自分の言葉とされる声や言葉が、今では「人間の言葉」であることをやめ始めたのではないか。言い換えれば、「教会の言葉」すら「教会の言葉」でなくなってきたのではないか。
ここで堅苦しい話に入ることは控えて、今日はいくらか柔らかめの話にとどめるが、教会での会話の訓練、とりわけ、祈りの言葉のそれはしたほうがよい。
そこまで訓練、訓練というのは行き過ぎではないか、と言う人がいるに違いないが、話の訓練は精神の陶冶に、ごく穏やかに益を与えるのである。
祈りも、神の御耳に響かせねばならないわけではないが、発声したほうには自己訓練の効果がある。説教がまず大事であるが、霊的な豊かさを反映した語り合いの修練も必要ではないだろうか。