『歎異抄』と福音 第十三回 悪人こそが救われる

東京基督教大学 教授

大和 昌平

悪人こそが救われる。宗教におけるこの大胆な逆説が、悪人正機説(悪人こそが救済の対象という意味)である。そして親鸞と言えば悪人正機説であり、悪人正機説と言えば『歎異抄』だと世に知られている。救済の論理とも言うべき『歎異抄』第三章は、気迫のみなぎる名文でもある。ここは半分ずつに分けて全文を味わってみたい。

◇「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、悪人なを往生す、いかにいはんや善人をやと。この条、一旦そのいはれあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆへは、自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむこゝろかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこゝろをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。」(第三章)|善人でさえ極楽に往くことができるのです。まして悪人にできないはずがありません。しかしながら、世の中の人は、悪人でさえ極楽に往けるのだから、ましてや善人に往けないはずがない、と言うのです。このことは一応は理に適っているようだけれども、本願他力の趣旨からは外れています。そのわけは、自力で善行に努める人は、阿弥陀の他力にもっぱら頼む心が欠けているため、阿弥陀が助けたいと願った本願の対象とならないのです。けれども、自力の心を捨てて阿弥陀の他力に頼むのならば、まことに極楽に往くことができるのです。
自力で善行に努める善人ではなく、阿弥陀仏に頼るしかない悪人こそが極楽に往くことができるという大逆転だ。仏教には守るべき五戒がある。不殺生(生き物を殺さない)、不偸盗(盗まない)、不邪淫(姦淫をしない)、不妄語(嘘をつかない)、不飲酒(酒を飲んで酩酊しない)である。殺人を生業とした武士たち、生き物を殺して糧を得る漁師や猟師たち、春を売る遊女たちはまさに悪人だった。
戒めを守り、寺に寄進をし、経を読んで功徳を積む善人でなく、阿弥陀仏に頼るしかない悪人こそが極楽に往くことができ、ひいては究極の覚りに到達することができる。この救済の論理はイエス・キリストの言葉を思わせる。
「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです」(マルコ2・17)とキリストは言われた。人間の善悪を超えた絶対的な救いをキリストは語る。この福音に触れた近代日本において、『歎異抄』ブームが起こったのは、『歎異抄』と福音があまりに似ていたからだと私は思う。信仰義認を論じたパウロと親鸞を比べたくなるのも無理はなく、類書は多い。続いて第三章の後半を読もう。

◇「煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるゝことあるべからざるをあはれみたまひて、願ををこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もとも往生の正因なり。よて善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、おほせさふらひき。」(第三章)|煩悩に満ちた私たちは、いかなる修行をもってしても生死の苦しみから離れることができないのを憐れんで、誓願を立てられた阿弥陀の本意は、悪人を仏となすためなのです。ですから、阿弥陀の他力に頼る悪人こそが極楽に往くことのできる要因を備えているのです。よって善人でさえ極楽に往けるのだから、まして悪人は言うまでもないと、法然上人は仰せになったのです。
『歎異抄』前半の親鸞の教えが書かれた章は、必ず「云々」で結ばれている。このように親鸞は語られたという意味だ。しかし、この第三章だけは違って、「おほせさふらひき」で終わる。師である法然がこのように仰せになったのだ、と親鸞は結んでいる。悪人こそが救われるという悪人正機の思想は、親鸞の師法然のものなのだ。
法然(一一三三~一二一二)は美作国久米(岡山県久米郡)に押領使(地方の警察署長にあたる)漆間時国の子として生まれ、父を政敵の夜襲によって喪った後、十三歳で出家し比叡山に学んだ。四十三歳にして称名念仏(阿弥陀仏の名を口で称えること)以外の一切の条件資格を問わず、極楽に往って仏になれると説き始めた。
悪人こそが救われると宣言した法然の急進的な教えは、当時の社会に衝撃を与えた。温厚な人柄の法然のもとには多くの弟子が集まったが、やがて伝統的な仏教勢力による攻撃と権力による大弾圧を受けた。弟子二名は斬首、法然は讃岐(香川県)に、親鸞は越後(新潟県)に流罪となった。法然は十か月で放免、京に帰り八十歳で死ぬ。親鸞は五年も越の国に留められ、この師弟の再会はなかった。
世に聞こえた悪人正機説に注目してみたが、この大きな思想は法然のものだった。親鸞はひたすら師に随順したが、おのずと法然とは異なる道を進んでいく。法然と親鸞との微妙な隔たりに、次回は踏み込んでみたい。

 

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