書評Books 「私たちはこの信仰に立つ」という鮮明な意識

『ハイデルベルク信仰問答を読む―キリストのものとされて生きる』朝岡 勝 著
B6判 1,900 円+税
いのちのことば社

インマヌエル高津キリスト教会 牧師  藤本 満

著者はかつて、バルメン宣言やニカイア信条を「読む」という題名の本を出版され、昨年宗教改革五百年記念の年に、本書を上梓されたことは、実に感慨深い。
著者の言う「読む」とは、重厚な学びを積み上げ神学的に分析することではない。ましてや、「私はこのように解釈している」という研究発表でもない。牧会する徳丸町教会の祈祷会でともに学び、さらに掘り下げて夕拝で説教し、キリスト教信仰を教会として告白し、それを生きるという姿勢を、著者は一連の書物で明らかにしてきた。
宗教改革の時代、ドイツにおいてカトリックとともに公認された宗派はまだルター派だけであった。そのなかでプファルツ領内だけがスイス改革派の聖餐理解を採用し、自らの信仰的立場を鮮明にするためにハイデルベルク信仰問答をまとめた。そこには、「私たちはこの信仰に立つ」という鮮明な意識があった。
それと同じ鮮明な意識が本書にはある。時代はどちらかといえば教派枠が嫌われ、個々人が自由に聖書を読み、神学的前提を無視した実践や霊性が喜ばれる。そしていつの間にか、ゆるやかな「恵み」「慰め」「励まし」、漫然としたキリスト教理解が幅をきかせる。そうした傾向に警鐘を鳴らす、一人の牧師の取り組み、一人の神学者の働きが本書であろう。
「信仰問答」というと、教育的意味合いを含んだ神学の簡略テキスト、であるかのように考えてしまう。著者はそのような安易なカテキズム理解を見事に覆している。
問いは、回答を導くために想定された問いではない。それは私たちの魂の底から上がってくる実存的な問いである。東日本大震災に直面して、「神の摂理」をどう理解すべきなのか、そこから生まれる「慰め」と「生きる方向性と力」はどこから来るのか、というように、本書はハイデルベルク信仰問答を手がかりに聖書を読み、神の言葉の真髄をくみ取り、教会員とともにその信仰に生きようとする、まさに真の意味での「信仰告白」である。