DVD 試写室◆ DVD評 132 「瞬きの詩人」

DVD「瞬きの詩人」
大橋由享
友愛グループ イエス・キリスト ファミリー教会牧師

―― ある家族の愛の記録

 今回ご紹介するのは、水野源三さんの生涯をドラマ化した「瞬きの詩人」である。 源三さんは、昭和12年、長野県坂城町に生まれた。元気な少年だったが、9歳の時に集団赤痢に罹患。高熱による後遺症で身体が麻痺し、言葉まで失ってしまった。

 絶望に沈んでいた源三少年だったが、足繁く彼を訪問した宮尾牧師の導きによって信仰をもち、生きる希望を見出した。

 後に、家人が読み上げる50音に、瞬きで合図を送るという独特の方法で詩作を始める。これが、「瞬きの詩人」と言われる所以だ。彼の内面からは、数々の詩が泉のように湧き出していく。そして、その純粋な詩が、多くの人に感動を与えるようになったのだ。

 このドラマは、水野源三さんの信仰の物語であると共に、彼を支えた家族の愛の歴史でもある。

 「母ちゃんのいのちに代えても治してやるから!」と誓った献身的な母。いつもあたたかく彼を見守る父。「源ちゃん」「源ちゃん」と声をかける気さくな弟。優しい妹たち。最初は、どう接していいか戸惑い気味だったが、やがて、彼の良き理解者となる弟嫁。映画「三丁目の夕日」と同様に、昭和の家族のあたたかさが胸に染みる。

 妹の嫁入り、弟の結婚、父の死、母の死、弟の事業の失敗…。喜び、悲しみ、時に苛立ち、絶えず動いていく家族のようすを、源三さんは、炬燵の縁にちょこんと顎を載せ、静かに見ている。そして、何もできないはずの彼が、家族を励ますのだ。彼には、家族の助けが必要であったが、家族にとっても、源三さんは、かけがえのない存在だったのである。

 そんな中から生まれたのが、「有難う」という詩だ。

 「物が言えない私は/有難うのかわりに/ほほえむ/朝から何回もほほえむ/苦しい時も/悲しい時も/心からほほえむ」

 このドラマには、随所に、源三さんの数々の詩がちりばめられ、光を放っている。

 そして、もうひとり、忘れられない人物がいる。源三さんを導いた宮尾牧師だ。彼もまた脚が不自由だった。2本の竹の杖をストックのように使い、脚を引きずりながら町中を伝道に歩く。悪童に転ばされても、町の人に、「宮尾さん、坂城には耶蘇は根付かんよ」と言われても、笑顔を絶やさず決して諦めない。

 そんな宮尾牧師が、一面の雪原を行く場面がある。ただでさえ不自由な脚が雪にとられ、遅々として進まない。しかし、讃美歌を歌いつつ、一歩一歩、歩んでいくのだ。彼の信仰、彼の人生を象徴するようなこのシーンに、熱いものがこみあげてきた。