CD Review ◆ CD評 『十字架を仰いだならば』
水野源三の詩による賛美歌曲集

『 十字架を仰いだならば 』
大塚 野百合
元恵泉女学園大学教授

水野源三のメッセージが心に響く

 一九世紀の英国の大説教家チャールズ・スポルジョンは、『リバイバルについて』に書いています。聖霊によって注がれる神の愛を表現する最上の方法は、語ることでもなく、書くことでもなく、それを歌うことであると。このCD『十字架を仰いだならば』は、そのよい実例です。重度の障害を信仰によって打ち勝ったクリスチャン詩人水野源三の一六編の詩に島塚光さんは、歌詞を生かす名曲を付し、ピアノで伴奏し、島塚夫人啓子さんのソプラノと今仲幸雄さんのバリトンで歌われています。

 重い障害を持つ娘さんがいる今仲さんは、源三の詩集に感動し、いつか素晴らしい曲でその詩を歌いたいと切望していました。それが実現したのがこのCDです。私は、その詳しい解説を書いたのですが、その作業を通して、源三の主イエスにたいする深い愛に圧倒され、自分の主に対する愛の薄さを悔い改めました。

 CDを聞いて、一時、心に憩いを感じることはありますが、そのCDのメッセージが私のたましいの底に響き、キリスト者としての自分の生きかたを反省するように迫られるということは、きわめて珍しいことです。

 なぜそうなのかを考えてみました。作曲家と二人の歌い手が、主を心から賛美した水野源三に感じた深い感動が、聞く者のたましいの底に響くからだ、と気付きました。この三人により、源三の詩に新しい生命が吹き込まれ、詩を読むときと比べものにならないほどの深いメッセージが聞く者に迫るのだ、と感じました。

 『私といっしょに』を聞くと、「耐えるのは私ひとり」と悲しんでいた源三が、「そうではない私といっしょに/イエス様も耐えたもう」と信じて、生きる勇気を与えられた様子が浮かんできます。源三の主イエスにたいする類いまれな深い愛が歌われている『花嫁なるキリスト』を聞くと、キリストは、「誰よりも、誰よりも……私を愛しておられる」と源三と一緒に信じて、その「花婿なるキリストを/強く強く愛させたまえ」と私たちも歌いたくなります。