21世紀の教会のために 最終回 教会の変革:神学と歴史そして教会への敬意をもって

藤原淳賀
聖学院大学総合研究所教授 日本バプテスト連盟恵約宣教伝道所牧師

 ハイカラな教会からレトロな教会へ

明治以降、教会は日本で最もハイカラで国際的でかつ先進的なところであった。宣教師が西洋の新しい文化をもたらしていたからである。
しかし現在、教会はレトロなところとなっている。教会堂は古びていて手入れが行き届かず、時代遅れとなり、若者はあまり見あたらない。電子メールでは連絡が取れない教会もある。もちろん教会が時代の最先端である必要はない。届いていこうとしている人々のニーズに合っていればよい。しかし教会は今、一般社会の人々からすると違和感のあるところになっているのではないだろうか。魅力的でないばかりか、外からはよくわからないところ、あるいは時代からはずれたところになっているのかもしれない。「教会は変わっていかなければならないと思う。でも、どうすればよいのか」
牧師先生方からは、こういう言葉をよく聞く。
「でも、どうすればよいのか」これが現在の問いである。
以前に二つの誤りについて述べた。すなわち伝統を無視して簡単に変えすぎてしまうことと、変わることを拒むという誤りである。
容易に変える誤り

キリスト教の伝統、プロテスタント教会の伝統、自分たちの教派の伝統、自分たちの教会の伝統を無視して容易に変えてしまうこと。これはしばしば牧師の無知から来る。教会史、教理史をよく知らない牧師がアメリカ(あるいは韓国)のやり方に感化されて、あるいはそれ以外の関心事から、十分な神学的吟味なく、新しいやり方を持って来ようとすることがある。それを年配の信徒が憂慮されるのは当然である。「私たちの教会の歴史を知らない新しい牧師が、昨日今日聞きかじった外国のものを持ってこようとしても受け入れられない」。それは当然の感情である。
牧師は(牧師になる前に)、基礎的な学問と実践的な技術に加えて、教会史と神学を知らなければならない。牧師はまた、自分が遣わされている教会の歴史を知らなければならない。そして、その大切なキリストの花嫁の歴史を自分の歴史として担わなければならない。
変わる勇気とキリストの花嫁への配慮

皆さんは、どのような教会になっていきたいと願っておられるだろうか。
もっと若い人に来てもらいたい。地域に開かれていて、もっと多くのクリスチャンでない人々にも来てもらいたい。キリスト教文化を紹介して、いろんな学びや活動もできるようにしたい。
神に出会い、神を畏れ、恵みと感謝で心が満たされる礼拝を捧げたい。素晴らしい音楽と賛美に包まれ、自分も精いっぱい賛美したい。
礼拝以外にも、愛のある、またほっとできる交わりを持ちたい。困ったときには、主にある兄弟姉妹として実際に力強く助け合うことができる信仰の共同体であってほしい。世の罪を厳しく指摘しながら、地の塩、世の光として聖く温かい交わりを世に提供したい。
きっとこのように思われているのではないだろうか。
そのためには、教会は変わっていかなければならない。教会員の平均年齢を考えてみていただきたい。青年伝道は急務である。教会は常に変革されていかなければならない(Ecclesia Semper Reformanda)。
牧師は教会の伝統に深い敬意を払い、神学的な吟味をしながら、今の時代に有益な伝道の方策を調べ考えなければならない。そのときに教会員の方々は、教会として変わっていく心の準備をしなければならない。
そして牧師は、特に年配の方々が、若い人々に届いて行くために変化を受け入れようとするとき、深い、心の奥底からの感謝をしなければならない。彼らが今までのやり方を変えることは計り知れない大きな犠牲である。
神学者は象牙の塔での研究に留まるべきではない。
実際の教会の働きに仕えなければならない。
私は最近「健康な教会を建て上げる」という働きにかかわっている。一月に続き、次のセッションが六月にある。
「パーパス・ドリブン・フェローシップ」~牧師、教会リーダーのための三年間訓練プログラム~
http://pdfellowshipjapan.blogspot.com/

これは、諸教会の「では、どうすれば」という問いへの答えの一つになればと願ってのことである。
諸教会と共に、私たちに託されている二十一世紀の前半を走っていきたいと願っている。