高校生のためのエッセイ
永遠志向 第8回 「自分のために生きて何が悪い!?」

荒井恵理也
高校生聖書伝道協会(hi-b.a.)スタッフ

 最近、ある女の子と話していたら「自分のために生きて何で悪いの?」と聞かれました。「エステに行ってきれいになって自分を磨いたら私の周りにいる人も幸せになれるじゃん」とか「自分を磨くってカッコイイ」と言うのです。

 このように考えている人は多いかもしれないけど、ボクはその考えには同意できません。そんなの別にかっこよくないし、それで幸せになれるとも思えない。キレイになることを目標にして生きるのは、彼女の本来の生き方ではないと思います。彼女はキレイになりたいと必死に自分を磨いているけど、心の奥には彼女も気づいていない隠れた動機があるのかなと思いました。

 本書の中に「拒絶されるかもしれない恐怖、失敗するかもしれない恐怖、罰せられたり恥をかいたりするのではないかという恐怖、そうした恐怖によって自分の人生が決定づけられてしまうことがないようにあなたを守る真理を見出すことができるのです。(中略)あなたには、果たすことのできる大切な役割が用意されているのです。」(三頁)とありました。

 たしかにボクたちは、恐れによって行動することがあります。恐れがあると防衛本能が働き、自分を守るために自分中心の思考に陥りやすくなります。それをつきつめると「自分のために生きて何で悪いの?」という発想になるのでしょうか。

 ボクたちは自分のために生きるのではなく、自分のために用意された人生を生きるのです。前者の主体は自分ですが、後者は主体者としての「永遠」の神の存在を認めます。そのような生き方には失敗や拒絶を恐れることもないのです。

 自分と人との違いは気になるけど、それは失敗や敗北ではなく個性であるとわかるし、仮に失敗したと思えてもそれが良いものであったことにあとになって気づくのです。

 失敗や敗北によって何かが終わってしまったかのような錯覚に陥ることもあります。でも「永遠」には終わりというものがない。実を言うと「永遠」という視座に立てば、失敗も敗北という考え方もないのです。だからそれらを恐れることもないのです。