踊りをもって御名を賛美せよ 第1回 賛美フラってなに?

中野めいこ
1944年東京三鷹生まれ。東京聖書学院、CEF伝道学院にて学ぶ。1965年、中野雄一郎牧師と結婚。3女1男、孫7人。日本とハワイの教会で奉仕後、1996年夫と共に巡回伝道者として再出発。現在、賛美フラミニストリー代表として賛美の祝福を伝えるために尽力。

 「賛美フラ……それってなに? フラってあれ、ココナッツの実を胸に、腰ミノを着けて腰を振る踊りですか?」「フラって、異教の神にささげる踊りではないのですか?」「何で教会でフラなんですか?」これから数回にわたって、これらの質問にお答えできればと思っています。

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 ハワイの青い海、さわやかな風、カラフルな花々、地上の楽園といわれるハワイの踊りフラは、ポリネシアの島々の中でいちばん優雅な踊りだと思っています。
一般で知られている激しく腰を振るものはタヒチの踊りで、ハワイのものではありません。ハワイにはアルファベットが十三しかありませんし、言葉数も少ないのです。例えば、アロハという言葉は有名ですが、みなさんはただ「さようなら」「こんにちは」の挨拶だと思っています。でも、四十八ほどの意味があると言われています。
心からあふれるあたたかい言葉はみなアロハなのです。その証拠に「愛」という言葉もアロハなのですから。ちなみに「神は愛です」は、「アロハ ケ アクア」といいます。
一生懸命話しても伝わらないこの現代、少ない言葉でどうやってコミュニケーションができたか不思議です。雑音もない静かな自然の中で、小さな部族ごとに暮らしていた彼らにはたくさんの言葉など要らなかったのでしょうか。
フラがあったからという説もあります。踊りを通して、愛を伝え、喜びを語り、栄誉を褒め称えました。「フラは手の振り一つ一つが言葉」になっているのです。手と顔の表情でメッセージを伝えます。
ですから、手話とハワイの踊りを組み合わせると、賛美のフラを踊ることができるのです。

デビ・ルツコウスキーさんのお話をしなければ、賛美フラの誕生は語れません。
デビさんは、フィリピン系アメリカ人の大家族で育ちました。同居していた叔父さんという人から、虐待を受けていました。母親に打ち明けますが信じてもらえなかったため、誰も信じることのできない子として育ちました。
小学生のときからもうアルコール依存症だったといいます。中学ではマリファナ、高校ではもっと強い麻薬を使うようになっていました。高校を卒業後、ロックバンドに入り、全米を歌って踊って回りました。しかし、彼女の心の苦しみ、悲しみ、痛み、怒りは決して消えませんでした。
ハワイに戻ってからは、フラダンスをステージで踊り、帰りは麻薬にお酒、どうやって家に帰ったかわからないような毎日を送っていました。
ある日、誰かが「あなたを愛して、あなたのために死んだ人がいるよ」と、酔って浜辺を歩いているデビさんに語りかけました。その言葉に心をひかれて教会に行くようになります。母親さえ信じられない彼女が、神様の愛を信じることなんて到底できそうにありませんでした。でも、教会の方々の篤い祈りとあたたかい愛で、ついにイエスさまを心に受け入れます。お酒や麻薬から解放され、神様に愛されている喜びにあふれました。
そして、このすばらしい福音を伝えたいと、刑務所、少年院、老人ホーム、どこへでも出かけて行きました。
ある日デビさんが、耳の不自由な方々のところに行きますと、そこで使われていた手話(サイン)がフラの振りとよく似ているのに気がついたのです。
もしかして、賛美歌でフラが踊れるかもしれない――。
「神様、もし踊ってもいいのでしたら、私に踊りを教えてください」と祈りはじめます。賛美を何回も何回も聞いているうちに、自然に体が動き、踊りができていきました。これが、ゴスペルフラの誕生です。
「踊りをもって、御名を賛美せよ」(詩篇149篇3節)

(注)「ゴスペルフラ」というのは、パイオニアのデビさんがつけた名称です。ほかでは、クリスチャンフラ、ワーシップフラ、フラプレイズなどと呼んでいます。私たちは、特に日本語の曲に振り付けをしていることから、「賛美フラ」と呼ぶことにしました。