自由が“ふつう”じゃなくなる日 今の幸せが永遠に続けばいい ── そう祈りながら

みなみ ななみ
イラストレーター

 「これから戦争なんてない」って当然のように思っていた。月刊『百万人の福音』の編集者から「西川さんを取材してください」と依頼されるまでは、考えたことすらなかった。

 今回『これから戦争なんてないよね?』の共著者である西川重則さんと初めて会ったのが六年前。「日本は戦争の準備をもう始めている」と聞き、「ええ~! うそ~?」とびっくりしたのも束の間、記事を書き終え、数週間後には忙しい日常にまぎれ、すっかり忘れてしまった。「日本がもう一度戦争するなんてありえない。だって『戦争放棄』を宣言している憲法九条があるんだから」と思っていた。

 三年後、再び西川さんに会う。「戦争の準備が具体的になっている」と聞き、またびっくり。政府はどうやら憲法九条を変えようとしているらしい。

 「え? 本当に戦争になるかもしれないの?」と、相当なショックを受けて西川家を出た後、編集者と二人、国立駅前の喫茶店で「どうしようか」と遅くまで語りあった。が、そのショックもしばらくしたら、やっぱり忘れた。自分の家が爆撃されるわけでもなく、家族が徴兵されるわけでもなかったから、リアリティがなかった。

 おまけにそのころ、遅い人生の春を迎えた私にとっては、「不確かな日本の将来」よりも「自分の恋と結婚」のほうがはるかにリアルで大事だった。「愛する人と一緒にいる幸せ」のために忙しかったのだ。

 そして去年、三度目に西川さんに会った。「戦争の準備」が「共謀罪法案」「教育基本法改定」「憲法九条の改正」という具体的な形で着々と進んでいることを聞き、三度目のびっくり。

 今度こそ、忘れちゃいけないと思った。忘れているうちに本当に「戦争」になっちゃったら、せっかく結婚したのに、旦那が戦争に行って死んじゃうかもしれない……。そして、さらなる取材を開始した。


「教育基本法」については、都立高校の岡田さんを取材した。岡田さんは都立の教員として要求されている職務とクリスチャンとしての信仰を守る立場が相容れず、とても苦しい立場に立たされているということだった。

 今の時代、この国で、イエス様を信じているために行政指導されたり、政策で苦しんだりしている人がいるなんて考えたこともなかったから、やっぱりびっくりした。岡田さんたちが国旗・国家の強制に対して抗議するために教育委員会を相手に裁判をしていることを聞いた。

 キリスト教を信仰し、偶像を拝まない自由や、好きな人と好きなだけずっと一緒にいられる自由がある今の幸せは、私が何もしなくても、永遠に続くと思っていた。でも岡田さんの内心の自由と信教の自由は、「公的機関」によって、もうすでに侵されていた。クリスチャンの教員が、偶像を拝みたくないためにした選択で「処分」されている現実。もう「ひとごと」じゃないんだと感じた。


「共謀罪」については、法務委員会の傍聴をしている「かおりん」こと高瀬さんを取材した。それまでは、私、「共謀」するつもりなんてないし、関係ないと思っていた。

 かおりんも「共謀」なんて縁がなさそうな、ふつうのかわいいい女の子だった。その彼女が法案に反対しているのは、イラク人を助けるNGO活動をしているからだった。戦争に反対したり、援助したりするためにイラク人と連絡を取ることが「国」からすると「共謀」と判断されるかもしれない、そうなったら海外援助活動が難しくなってしまうとのこと。

 もし「共謀罪」法案が施行されたら、「兄弟を助けるため」や「信仰を守るため」にした行動だって「処分」や「逮捕」の対象になるかもしれない。そんなことを考えたら、「ひとごと」とは言ってられなくなった。

 今まで「国」を信じてぼんやり生きてきた。「国」や「公の機関」が個人の自由を奪うなんてありえない、と漠然と「信頼」していた。たぶん今も、かなりぼんやりしてる。でも、イエス様だけを礼拝する自由と好きな人と一緒にいる今の幸せが永遠に続けばいいなと強く願っているし、そういう自由を守るために戦っている人々がいることを知った。

 そして本を書き、今も祈り続けている。神様どうぞ、その願いを実現させるために、今、私がしなくちゃいけないことを教えてください、と。