平和つくりの人 銃ではなく聖書を持って(3)

結城絵美子
フォレストブックス編集者

「平和をつくる者」とは

メティカフさんを日本に運んできた船には、朝鮮戦争に向かうイギリス兵もたくさん乗っていた。ある日曜日、一人の将校がやってきて、兵士たちに話をしてやってほしいと言われた。十八歳から二十歳くらいの若い兵士たちに向かって、メティカフさんはこう語りかけた。

 「あなた方は銃を持って平和をつくろうと韓国に向かっている。私は聖書を持って日本に向かっている。戦争は終わったが、日本にはまだ平和が訪れていないからだ。私は日本人に聖書を教えたいと思っている。イエス・キリストが平和の君であられるから」

 この信念をもって、それからの三十八年間、メティカフさんはどんな苦労もいとわず、東北や北海道、千葉などで福音を伝え続けた。

 「イエスは、『平和主義者は幸いです』とおっしゃったのではなく、『平和をつくる者は幸いです』とおっしゃったのです」と、メティカフさんは言う。そして「平和をつくる者」とは、「祈ることによって神との平和をつくる者」だと。

 平和についての講演会を企画することにも、デモをすることにも意味はあるだろう。しかし、神との平和を求めず、その結果、身近な人との平和も得ることができないまま世界平和を論じたり、あるいはただ怒りに駆られてデモをしたところで、果たして本当に平和をつくることができるのだろうか。

 祈ることによって神との平和を得、自分中心から神中心となった人が、ここにも一人、あそこにも一人と増えていき、地の塩となることが、この世界に平和をもたらす具体的な方法だとメティカフさんは考えている。

 ある時、イギリス政府の関係者が、メティカフさんのこれまでの歩みについて熱心に耳を傾けたあと、揶揄するのでもなく嘲笑するのでもなく、ただ心から不思議そうにこう尋ねたという。「しかし、祈りが役に立ちますか?」

 「何と答えたのですか?」と私が聞くと、「『もちろん』と。しかしこればっかりは祈った者にしかわかりませんね」とメティカフさんはいたずらっぽく笑った。


『闇に輝くともしびを継いで』『闇に輝くともしびを継いで』
スティーブン・メティカフ
「イエスは本当に、僕が日本兵を愛すべきだと思われるのか」。第二次大戦中、日本軍の収容所に入れられていたイギリス人の少年は考え込んだ。彼は、収容所で出会ったエリック・リデル(映画「炎のランナー」で主人公として描かれた元オリンピック選手)の影響で宣教師として戦後、来日する。歴史に翻弄されながらも、怒りと憎しみに押しつぶされることなく、愛と平和を伝える使者となった著者の半生を綴る。