神様がくれた風景 7 父のバイク

小樽の海
やまはな のりゆき

小樽の人口のピークは1964年。それは奇遇にも僕が生まれた年で、思い出してみると、たしかに僕がまだ子どもだった頃の小樽はどこへ行っても活気があって混雑していました。夏の海岸には子どもがあふれ、男の子が大勢いて賑やかでした。男というのは残酷で、カニや魚をオモチャにして遊ぶなんて当たり前。仲間がけっこう本気で溺れていても皆ケタケタ笑って眺めているし、カナヅチを自称していた僕を「怖がってないで飛び込んじまえよ」と、テトラポットから海に蹴落とすすごさ。しかし、なんとそれで泳げるようになったのだから不思議。男たちは皆、そんな愛ある? 乱暴やいたずらの中で互いに揉み揉まれ、たくましく育っていったのです。
小樽は港町ですから、教会も多く点在します。教派は知らねど、あちこちに十字架は立っていました。友人たちも、教会の日曜学校に朝わざわざバスに乗って遠くまで出掛けていました。見慣れないカードを持っている友人に「何それ? どうしたの?」と聞くと「日曜学校でもらった」と言う。
「にちようがっこう?」いぶかしがると、すかさず別の仲間が「行けばクッキーとか貰えるんだぜ」「やまはなも行く? 連れてってやろうか?」
行きたいような、どうしようか……。クッキーは食べたい。
しかし、勉強嫌いの僕は「日曜日にも学校なんて……」まっぴらゴメンと断ったのでした。でも、正直行ってみたかった。「教会」ってどんな所だろう? と内心思っていたものです。
日曜学校に友達を誘おうか誘わないか迷っている子は、ためらわないで誘うといい。友達は興味を持っている。誘われるのを待っているのだ。優しすぎるクリスチャン。「怖がってないで、飛び込んじまえよ」迷っている人の背中を少々強引なくらいに押すやんちゃさも、時に必要なのかも。初めは戸惑いつつも、いずれ泳げるようになって笑っているその人の笑顔の保証は、主がしてくださっているのだから。