時代を見る目 197 子どもホスピス [2]
「この子らを世の光に」「この子らと光の中を」

鍋谷まこと
淀川キリスト教病院 小児科部長

    日本における子どもホスピス――。どのような言葉がそれを最もよく表すのか考えたときに、まず「この子らを世の光に」という言葉が頭に浮かびました。この言葉は障害児福祉の中では有名な言葉で、日本の戦後の重症障害児福祉の草分けの一人である糸賀一雄氏の言葉です。氏はこの言葉を通して、障害をもつ子どもらの無限の可能性を世に示したのです。
日本の障害児福祉は、その時代から今に至るまで着実に広がりを見せ、多くの障害のある子やそのご家族を救ってきました。その手厚さは皆保険制度と並び、世界的にも評価されています。ただその援助形態は時代に応じ変化が見られます。
重度の障害児に対しては当初は入所施設が中心でしたが、この20年では在宅支援の必要性が増加してきて多くの通園施設が日本中にでき、訓練や専門の保育などを提供しました。この10年では、人工呼吸器や中(※)心静脈栄養をしたまま退院する、より重症度の高い子どもさんの在宅の数も増えてきたため、レスパイト(一時預かり)の制度が広がりつつあります。この点は前回この誌面で紹介した、英国発祥の子どもホスピス「ヘレンハウス」と共通しています。
ただ私が思うに「ヘレンハウス」と比較したときに、日本の障害児福祉に欠けている視点があります。それは「愛する者の衰弱や死を見据え、共に過ごし、看取りまで支える」という視点だと思います。
日本において病気の悪化や死と向き合う場所は病院内だけであって、障害児福祉は、「施設とは障害児の日常を過ごす場所である」という視点なのです。そのため、病状が不安定な状態の子どもは原則受け入れ不可能な施設がほとんどです。しかし多くの難治性疾患患者が医学の進歩とともに助かり、在宅で過ごす時間が増えています。そうした中で、病状が不安定ながらもそういうレスパイト施設を希望されるご家族の必要性は高まるばかりなのです。
私は、そういう重症な病気や障害をもち、時に死と隣り合わせの病状の子どもたちと御家族を想うときに「この子らと光の中を」という言葉に思い至りました。子どもがどんなに重症でも、また残された時間は限られていたとしても、共に過ごし、楽しみ、光り輝く瞬間を共有できるはずです。日本においてこのような取り組みが可能な専門の場所「子どもホスピス」はまだ存在しませんが、皆の祈りの中で実現することを願っています。