新ガイドライン──キリスト者の視点から 真実に福音に生きるために
――無関心な態度は共犯者になるということ

昭和館
西川 重則
改革派 東京教会会員

 ●戦後史最大の重要法案
 第145回国会(通常国会)が始まったのが、今年の1月19日。いわゆる通常国会は150日間であるから、6月17日には閉会となるはずである。しかし、閉会を前に、80日前後の延長が話し合われている。言うまでもなく、政府・与党の都合によって、事柄が進められ、決定されてゆくことは周知の通りである。

 「盗聴法案」、「日の丸」・「君が代」の国旗・国歌などの法制化を視野に入れての延長国会である。この種の事例は、国会では繰り返し行われ、見られるところであるが、多くの場合、国民の基本的人権にかかわるものであり、また、単に国内問題として済ませるだけでは終わらない。法案が成立することによって、重大な国際問題として、長く国の内外に多大の影響を及ぼすことが考えられるだけに、主権在民の立場から、この種の問題にどう対応すべきかが、私たち一人一人に強く問われていることは言うまでもない。

 私にとって、特にそうした思いを与えられたのが、去る五月二十四日に「成立」したいわゆる「日米防衛協力のための新ガイドライン関連法案」をめぐる事柄であった。

 第145回国会最大の重要案件と言われた法案であるだけに、マスコミ報道も毎日のように、国会の報告をしていたことは事実であり、多くの読者も関心を持って、その行方に注目していたのではないかと思われる。

 私自身は、この案件が、戦後史最大の重要法案であり、文字通り、歴史の岐路に立たされた1999年にあって、武力によらない国のあり方から、武力による国のあり方へと国是を180度変更しようとする政府・与党の政治姿勢に対し、「否」を主張する立場から、国会の現実を直視するために傍聴を繰り返した。「裸の国会」を正確に報告し、明日の日本のために役立つ記録を書き残そうと決意したものである。

 その決意の表れが、衆・参両議院での「特別委員会」を残らず傍聴するという結果となったのである。「特別委員会」を設置したのも、同案件を早期に成立させようとする政府・与党の政治力学によるものであり、私が考えている、本来の国会法の趣旨にはなじまないものであった。百数十時間にわたる国会審議のことごとくが、集中審議の名の下に、早朝から夕方まで、連日のようになされたが、それは慎重審議とは異質であり、審議の名に値しないものであった。

 ●戦争マニュアルの立法化
 いま、なぜ新ガイドライン・有事立法なのか。政府は、私たちが抱く重大なこの問いに答えようとはせず、時の経過を待っていた。

 ただひたすら早期成立を目指し、集中審議を繰り返したにすぎない。アメリカに顔を向けつつ、首相は法案成立の朗報を待望し、答弁を繰り返したと言ってよい。国会議員にとっても、集中審議は異常であり、早朝から夕方までの審議の連続とあって、疲労もあったろう。居眠りも見られた。しかも野党の質問に対しては、与党議員から次元の低い野次や怒号が繰り返された。

 事柄の重要性のゆえに、野党から政府に対して、資料の提出・公開が求められたり、更なる審議が要求されれば、その都度、委員長は、「特別委員会」での審議ではなく、いわゆる別室における「理事会」での協議一任とし、その結果、事柄は一件落着となる。

 傍聴者にとっても、それは「知る権利」、「情報公開」のない国会の現実を思い知らされる時であり、国会とは何であるかを改めて深く考えさせられたものである。

 本来国会は話し合う場であり、「国権の最高機関」、「国の唯一の立法機関」(日本国憲法第四一条)である。「話し合い」は、相互の意見に耳を傾け、相手の主張に対して、誠実かつ真摯に答えることが当然の義務であると言わねばならない。従って、党利党略から短期に成立させることだけを優先させる政治姿勢は、国会のあり方からはふさわしくないと言うべきであろう。

 にもかかわらず、日米防衛のための新ガイドライン関連法案の核心部分のほとんどが解明されないままに「成立」したことは、審議という形式的な手続を踏襲するだけで、本来の目的、すなわち、「いま、なぜ新ガイドライン・有事立法なのか」という国民にとって最も重要な問いに、政府が誠実に答えなかったことを意味しており、まさに議会制民主主義の根幹にかかわるものである。

 その現実を傍聴することができた私は、歴史の証言者の一人として、改めてその全貌を忠実に報告する責任を覚えている。法律は強制力を持っている。憲法に対して、どうかかわるべきか、私たちは、1930年代の暗い夜の歴史の教訓を生かすことができないままに、再び戦争マニュアルの立法化を許してしまった。政府・与党を追及するだけで、私たちの責任を果たしたことにはならない。知らないこと・無関心・沈黙も共犯の罪となることを、私は恐れている(詩篇19・12)。