愛する人との別れを迎えるとき 涙の向こうに

伊藤 順造
保守バプテスト同盟 いわき希望教会 牧師

 まずは、ヨハネの福音書一一章一―四四節をじっくりお読みください。

 イエスの愛弟子ヨハネは、福音書を通して強く「イエスは神である」ことを弁証しました。イエスと寝食を共にしたヨハネなればこその微に入り細をうがつ記述です。イエスさまとラザロの姉妹たちとの間の感情あふれる生き生きとした会話を味わってください。

 イエスさまは神ですから、「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです」(二五節)と一点の曇りもなく宣言されました。神にとってラザロをよみがえらせることはわけもないことでした。ラザロのよみがえりが既定の計画だったので、「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです」(四節)と、イエスさまは釘をさされたのです。すぐに駆けつけてくださいとの強い要請にも二日間あえてとどまりました。ですから、ラザロのもとに行ったとき、神の栄光を信じることのできないその不信仰を憤られました。

 そこで奇妙な一節が出てくるのです。
 「イエスは涙を流された」(三五節)
ラザロのよみがえることを承知のイエスさまの涙は、儒教圏によくみうける泣き女のような見てくれの行動だったのでしょうか。違います。では、なぜヨハネは、余計な一節を記録したのでしょうか。イエスさまは、不信仰を憤られましたが、涙そのものを否定してはいないということなのです。愛する人の死に直面したときの家族の本当の姿を、イエスさまは我が身をもって示されたのです。あなたが忠実なクリスチャンであったとしても、涙することは、敗北でも罪でもないのです。神に似せて創造された存在として、自然な心情の発露なのです。

 心療内科では、精神的ストレスを点数化しています。基準となる最高位のストレスが「配偶者、親の死」です。それを百点とし、第二位が「家族の一員の死亡」九十一点です。参考までに最近の世相をあらわす「離婚」は、第四位で六十九点、「リストラ」は第六位で六十四点、「家族の不和」は第一二位で五十七点で、上位にランクされてはいますが、愛する人の死に比べたらかなり低いのです。すなわち、愛する人の死は、人生の出来事の中で最大のストレスなのです。よみがえらせる力を持つイエスさまでさえ、「愛する友人ラザロの死は、本当に悲しい出来事なのだ」と、涙をもって宣言されたのです。

 私は、ホスピスケアを始めて十三年、病床礼拝を始めて六年になります。そこで大切にしていることは「思いきって泣きなさい」です。家族がクリスチャンであるかどうかに関係ありません。なぜなら、涙の谷を通らずして祝福や希望はないからです(詩篇八四・五―七)。私たちは、愛する人の死を純粋に悲しむとき、はじめて、その先にある希望を自らのものにできるのです。

 ここでSさんのことを紹介します。Sさんご夫妻は、熱心かつ成熟したクリスチャンでした。奥様が病気で召されたことを通してすばらしい「証し」があるだろうと考え、癌の患者さんの集いで心境を語ってくださるようお願いしました。しかし、五年間断られ続けました。五年後に語ってくださったのは次のようなことでした。

 私たち夫婦は、小さな教会の開拓伝道から牧師を支えてクリスチャン生活三十年を迎えました。勤続三十周年表彰といいますから、神さまから何かほうびがあるかなと期待していました。が、背中の痛みで受診した病院から呼び出され、告げられたことは「卵巣癌の末期です」でした。奇跡を信じました。しかし、一年半の闘病生活の後五十歳の若さで召されました。

 病室を訪れるときは笑顔で、今日あった様々なことを家内に語りました。でも、一歩病室を出たら涙があふれて止まりませんでした。「神さま、一体どうして」という思い。召されてからの五年間はご飯を食べても味がせず、砂を食べているようでした。

 あるとき、聖書を読んでいて、第一コリント一五・四二―四四が心の中に深く入ってきたのです。「ああ、そうなんだ。今、家内は、朽ちない栄光の体によみがえらされ、笑顔でイエスさまと話をしているんだ」と分かったとき、天国が自分のものになりました。

 私は、病床礼拝で召された家族の方々と今も継続して交わりのときを持っています。復活と天国の希望を語り続けています。たとい、はじめはピンとこなくても、やがて慰めに変わることを信じるがゆえです。

 復活と天国が、確かな希望に変わるとき、文字通り涙が渇くのです。そのときにはじめて、まことの慰めのただ中に置かれるのです。
「彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。初めの雨もまたそこを祝福でおおいます」(詩篇八四・六)