往復メール kei Vol.8 なんで勉強しなくちゃいけないの?

那須 敬
国際基督教大学 社会科学科助教授(西洋史) JECA 西堀キリスト福音教会会員

 なんで勉強しなくちゃいけないの? クリスチャンなんだからそれでいいじゃない。ほら、聖書にも「知恵が多くなれば悩みも多くなり、知識を増す者は悲しみを増す」(伝道者の書1:18)って書いてあるよ……。

 ここまで単刀直入ではなくても、信仰を持っている若い人たちから、勉強する理由について相談されることがある。教会生活やクリスチャン同士の交流が充実していると、学校で学んでいることが無意味に感じられる、という声も聞く。特に進学の季節には悩む人が多い。でも、若いクリスチャンが勉強しなければならない理由は少なくとも三つあると思う。

 まず、勉強は、誰でもできることではないから。日本ではあたりまえの義務教育も、受けることができない子どもたちが世界にはたくさんいる。だから、勉強できる人はしなければいけない。そうすることによって、できない他の人たちを助けてあげる義務がある。これが一つ。

 二つめに、神さまの役に立つためには、自分の力や可能性を知り、それを伸ばさなければならないから。若い時にがんばって勉強した経験は、将来クリスチャンの大人として自分の生きる道を組み立てていくときに必要な力になる。一見聖書と関係ないような科目でも、軽視してはいけない。歴史を知ること、様々な言葉に出会うこと、宇宙の仕組みについて考えることは、この世で仕えるために役立つだけでなく、聖書のメッセージをより深く理解する助けにだってなるんだ。

 三つ目の理由は、二番目の逆だ。クリスチャンによって勉強されるってことは、その学問にとっても大切なことなんだ。信仰者は学問の世界ではお客さん、というのはもったいない。文系科目も理系科目も、そこにクリスチャンがいることで、もっと豊かに変わっていく可能性がある。教科書に書いてあることや先生の言っていることがおかしいなと思ったら声をあげればいい。それも「地の塩」の仕事なんだ。