信仰を自分のものとしたとき 限界が見えたとき神に祈った

山口 翼
山口 翼
福音伝道教団 小川キリスト教会伝道師

 クリスチャンホームの子弟は信仰を自分のものとする前に信仰はすでに与えられているものと思っているのではないだろうか。私は自覚する前にすでに信仰を自分の中に植え付けられているような感じを受けていた。

 地方の牧師の息子として育った私も、信仰を自分のものにするまで、自分の前に並べられた「信仰のレール」を葛藤しながら歩いていた。

 中学三年の時、罪の赦しがあることがわかり洗礼を受けた。中学、高校の頃、教会には年配の人だけで、同世代のクリスチャンがいなかった。礼拝の説教は理解するには難しく、ろくに聞かずに別の事ばかりを考えていた。

 しだいに心が信仰から離れ、どうにかして理由をつけて礼拝を休むことを考えていた。例えば日曜日にある模擬テストに積極的になっていたことからわかる。

 これは「信仰のレール」からはずれようとする小さな試みであった。しかし、性格的にその線路からはずれることができなかった。心の中では礼拝を休むことの後ろめたさを感じ、教会の奉仕を「したくない」と言えずに両親に従っている自分がいた。 両親を悲しませることに気がとがめ、少しでもその期待に応えようとしている自分があった。しかし、心はますます信仰から離れていった。

 教会では、私という個人ではなく、色眼鏡をかけたように両親と一緒の信仰を見られることが多くあった。そこには周り人の過度の期待を感じた(自意識過剰かもしれないが)。

 当時私は自分で祈ることもせず、聖書もろくに読んでいなかった。大した信仰がないのに教会やキャンプでは奉仕をし、証しし、人前で祈る。

 それまでの訓練で奉仕をこなせてしまう自分が嫌であり、そのギャップがたまらなく嫌であった。それはただ周りの期待を裏切らないように取り繕っていたのである。

 大学四年の時に信仰を見つめ直すきっかけがあった。それは学びと生活のためのアルバイト、教会での奉仕が重なり、肉体的にも思考的にも自分ではどうすることもできない状態になっていた。

 その時にはじめて神様と向き合い、言葉にならない心の叫びで祈ることをした。「もし、本当に神様がいるのならば、応えて下さい」。神様はこの祈りに応えて下さった。そして信仰を自分のものとすることができた。

 それまでは両親や周りの人を通して与えられた信仰であり、神様との関係であった。それは主体的にというよりは惰性的に無難なところを選び、信じていたのであった。

 しかし、自分が主体的に神様と向き合ったときから、神様との直接の関係を持つことができた。

 自分が信仰しているお方との関係を築く。これは信仰者として基本的なことであるが、それがずっとできなかったのである。神様から愛されている特別の存在として、神様の前にいる一人の人間として神様の前に立つことができる時、信仰を自分のものとすることができたのではないかと、歩みを振り返る。

 「あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。」(ガラテヤ3章26節)