人生の苦労と教会 インタビュー 向谷地生良さん(2)

でも札幌の大学に入学して、教会に行くのをやめたんですよね。

 (笑)最初のころは、教会学校の教師とかやってたんですけどね。

 大学に入って最初に考えたことは、働くこと(笑)。親に仕送りはいらないと言い、仕事を探した。半年くらいかかったけど、特養(特別養護施設)の住み込み介護人の仕事を見つけました。それがいままでの私の人生観を砕くひとつの経験になった。

 自分の中には、まるで正義の刃を振り上げて飛び込んでいくよう正義感があって、それを正当化するための信仰がどんどんと壊されていく経験をしました。

 特養の住み込みで、夜間介護人でしたから、最後に寝たきりになり、けっして幸せではなかった人たちが亡くなっていくさまをみていました。遺体を安置室に運びながら、これが自分たちの最後か、自分たちはこれに向かっているのだと思いましたね。

 ただ正義の味方として世に出ていくことが必要なのではなく、死に向かっていくための何かが必要だと思ったのです。そう思った時にあらためてイエス・キリストが歩んだあの旅を思い出したのです。

その旅は、十字架にかかるためのものでした。

 そうですよね。教会に行って、外国の人たちも多く、食事も豊かでしたから、自分が教会に行って恵まれ、充実してることにものすごい後ろめたさを感じ始めてね。こりゃ違うんじゃないかと思いはじめて(笑)。

 私は当時、ボランティア活動をやってて、自分はこうやって教会に来て恵まれているけれども、彼らは来られない。こうして教会に来ていていいのだろうかと思っちゃって。むしろボランティア活動をしているほうが自分にとって真実だと思えて、ボランティア活動になんとなくシフトしちゃった。

 でもね、そのシフトもずっと、自分の中では、「これでいいのか」というひとつの問いでもありました。ボランティア活動だけでもないはずだと。信仰と現実をちゃんと両立させ、ひとつにしてまとめあげるなにかがあるはずだと。

「楽しい教会生活」と「死に至る現実」という二つの出来事をつなぐ何かがあるはずだと。

 そうですね。就職活動をする時期が近づいても、給料が高いとか、便利だとか、働きやすいなどを基準にして就職先を選ぶということが、何か腑に落ちなかった。だから、みんなは就職活動してたけど、私は何もしなかった。

 そしたら十二月になって、下宿に大学の先生から電話がかかってきた。「浦河に行かないか」って。受けるだけでいいから。あまりに悪条件で、遠くて、先輩もいないし、まったく新人だし。その浦河という東京の二倍の広いエリアにワーカーはひとりもいない。できれば男子学生ということで、男子学生全員に声かけていってみんなに蹴られて。最後に私に声がかかり、「受けるだけ受けてくれ」と。

 それで浦河に行って、駅前に降りた時、「こんな寂しい町で」っていう感想をもった。それにたじろいでいる自分に違和感を感じたし、逆に悪条件が腑に落ちて、「ここでやってみようかな」と思った。

 自分の中の、自分を納得させるためのひとつのキーワードがあった。ここだったら苦労できる、というのかな。

そして浦河で、また教会へ通い始めるのですよね。なぜ、再び教会へ?

 ずっと教会から離れてボランティア活動に専念していく中で、これも何かウソだなと、思っていたのです。でも、それを自分の中で説明できるものがなかなかなかった。だから浦河に行って、もう一回教会に行き直してみようと。行ってみたら牧師さんもいないし、司会も高校生がやっているような貧乏な教会だった。そういうところからもう一回教会生活をスタートさせることに、何か不思議なものを感じましたね。

 北海道には、戦前に強制徴用で朝鮮半島から連れてこられた人たち、あるいはうまい話を聞いて朝鮮から渡って来たなどの経歴をもった人たちが多くいます。十勝とか道東のほうで、強制労働させられていた朝鮮の人たちの中には、敗戦後、温暖な日高へ移って来た人も多かった。

 教会の中心になっていたご夫婦の奥さんはお母さんがアイヌ民族の出身の方で、お父さんが朝鮮から来られた人でした。奥さんからはアイヌ民族や朝鮮半島の人たちがたどったたいへんな歴史を聞かされました。

 町の保健婦さんに紹介された「今いちばん大変な人」も、アイヌ民族の方で何十年も何世代にもわたるアルコール依存症で、あっちもこっちも家庭が崩壊していました。

 そこに飛び込み、毎日毎日、家族のいさかいの中に引っ張り出され、もみくちゃになっていました。そこで暮らしている子どもたちを、なんとかしなくちゃならないと思って九人乗りのワンボックスカーを買い、子どもたちを乗せて子供会活動を始めたのです。

 ひとりで始めて、のちに赴任された牧師と……それが今の「べてる」につながっていくわけです。

 学生時代に、説明できなかった信仰のあり方が、「現実」とかさなりあって「悩む教会」というイメージがわいてきた。教会とは、まさにイエスの旅だと思っています。

ありがとうございました。