ブック・レビュー 真摯に神を求める信仰者必読の書


工藤信夫
平安女学院大学名誉教授/精神科医

私どもキリスト者にとって、生涯問い続けねばならない一つの重いことばがある。カトリック司祭アンソニ・デ・メロの「神について作り上げたイメージが、本物かどうか疑ってかかりなさい。そのほうが単に(神を)崇拝するよりも、もっと神に喜ばれる」がそれである。というのも、宗教はどういうわけかいつも、非宗教化する危険を内に宿しているからである。ちょうどイエスの時代、待望の救い主イエス・キリストがこの世に来られたのに、当時の宗教家が十字架につけてしまったという事実に見られるように、私どものまわりには今日でも非キリスト教化した伝道、宗教がいくらでも見られるのではないだろうか。精神科医としての良心から『信仰による人間疎外』(いのちのことば社)や『福音はとどいていますか』(ヨルダン社)を藤木先生との共著のもとに世に問うたのはそのためである。
藤木先生の著作には、一貫して、生涯一病人として神の御前に自ら問い続けられる求道者の姿があるが、本書には厳しい求道生活の末にようやく神の平安にたどりつかれた著者の正直な足跡が語られている。それは“私一人のための神”を求められた真摯な、また誠実な歩みとして私どもの心を打つ。すぐれた、また類いまれな信仰の先達を身近に与えられたことを私は光栄に思う。
第三部では、映画「ポー川のひかり」から、教義化、教条化したキリスト教を捨てて〈信仰による希望〉を見い出していく若い哲学教授の話が引用されている。この映画の冒頭の場面は、イタリアの古都ボローニャの大学の床一面に神学書が散らばり、その一冊一冊が太い釘で床に打ちつけられているという衝撃的なものであった。この教授は大学を捨て、村の岸辺に廃墟を見つけて「キリストさん」として村人との交流に生きる。
「信仰は知識ではない」「生かされて生きる」ことを信条とし、その若き日に“行きたくないところに行く”という一言のみことばに捕らえられた著者の生き方そのものの姿をそこに見て、私は深く感動を覚えた。
真摯に神を求める信仰者の必読の書である。

『生かされて生きる』
藤木正三 著
B6判 1,300 円+税
いのちのことば社