ブック・レビュー 人はだれでも加害者になりうる
――罪の深淵に目を奪われて

 『子どものとき、戦争があった  』
竹本 邦昭
日本福音キリスト教会連合 札幌希望の丘教会牧師

本書は、先に刊行された『戦争を知らないあなたへ』(二〇〇八年)と『いま、平和への願い』(二〇一〇年)に続く戦争証言の第三集で、七名の方々の貴重な戦争体験が収められています。特に、「戦争を体験したことのない」世代の若い人に読んでいただきたい一冊です。
第三集の題名を見てすぐに私が思い出したのは、ひじ関節から先のない父の左腕でした。
父は北支(中国北部)で交戦中に、戦傷で左腕を切断、帰国後、母を紹介され二十三歳で結婚し、翌年一九四四年十月、長男として私が生まれました。父は私が生まれてすぐに、指の先まである私の左腕を見て安心したと言っていました。
また、軍需工場のあった前橋は激しい空爆を受けました。多くの死体が横たわる中、母は私を背負って市街から山に逃げて助かったと聞きました。このような体験からでしょうか、自分には、戦争を被害者としてとらえる傾向があったと反省しています。
このシリーズ、特に第三集を読んで、人は、いつでもだれでも戦争の加害者となる可能性を秘めている―罪の深淵を垣間見る思いを強くしました。
「心を狙われた無知の罪」(糸井玲子)の中で、私自身も同じ思いで祈ることのできることばに出会いました。「戦争における被害と加害の重さに言葉を失いますが、語り続けなければなりません。子どもだったから知らなかったとしても、赦されない罪を負い続けています。二度と無知の罪を犯してはならないと、主にすがって祈っています。」(一二九頁)
ほかの六名の方々の体験記一つひとつも、真剣に傾聴しなければならない貴重な証言です。
「戦中・戦後の教会と私」(藤澤一清)、「日本と京城、二つの故郷」(三好萬亀)、「幸せなら『平和』を態度に示そう」(木村利人)、「戦時の経験」(石濱義信)、「私が中国で戦った『聖戦』の実態」(松本栄好)、「ヒロシマ、平和への思い」(笹森恵子)。