ブック・レビュー 『礼拝の聖書的な理解を求めて』

『礼拝の聖書的な理解を求めて』
吉田 隆
改革派 仙台教会 牧師

何が真の「礼拝」か、ひたすら聖書から聞く

 「豊かな礼拝とは何か」。今日これほど差し迫った、しかしまた、これほど答えに窮する問いはない。何千何百という会衆を前にショーさながらに繰り広げられるメガチャーチの「礼拝」と、20人にも満たない小さな群れでほそぼそと捧げられる「礼拝」との間で、しばしば牧師は苦悩する。何が真の「礼拝」なのか、と。

 本書はそうした危急の問いにすぐに答えようとはしていない。大切な問いであればこそ、敢えて回り道をしようとする。何よりも私たちが礼拝するお方自身の御言葉に真摯に聞こうとする。

 「礼拝の聖書的な理解を求めて」、わが国の福音主義陣営を代表する神学校の一つ、聖書神学舎の第一級の教師陣が聖書そのものと格闘した夏期研修講座の記録が、本書である。

 第一部の問題提起に続く第二部の六つの講演は、十戒、レビ記、詩篇(都上りの歌)、ヨハネ福音書、ローマ書、黙示録と、旧新約聖書全体から礼拝についての指針を聞き取ろうとする姿勢に貫かれている。

 一読して、私は正直驚いた。今日、礼拝に関わる実践的問題が山のようにある中で(そしてまた、おそらくそのような問題を取り上げるほうがより関心を惹けるであろうに)、わき目も振らずひたすら聖書に向かおうとするその真剣さに教えられた。そして、このような講座に参加できた方々の幸いを思った。四日間にわたる講座は、さながら至福の礼拝そのものであったに違いないと。

 今、そのような恵みが活字になったことを感謝する。本書は、今後、わが国の福音主義的礼拝理解にとってなくてはならぬ一書となるであろう。

 最後にもう一つ。本書は、牧師のみならず、むしろ信徒の方たちにこそ読んでいただきたい書物である。なぜなら、真の礼拝を求める群れさえそこにあれば、数やかたちの問題などすべて二次的なものとなるからである。