ブック・レビュー 「自分に起こったこと」を見ることができる本


吉髙 叶
「自分に起こったこと」を見ることができる本

三十年ほど牧師をしてきたが、病室の訪問はいつも緊張していた。もし求められたら、読む聖書箇所はどれがふさわしいだろう? 賛美歌は? 「健康」な人間が考える生への態度を語らないようにしよう。でも慰めの時になって欲しいし、治療を続ける気持ちがつながるような時間にしたい。そんなことを思い巡らせ、準備し、病室を訪ねた。いつもの週報ばかりでなく、たまには何か心安らぐプレゼントを置いて帰りたい。何がいいだろう、この詩集か?この写真集か?
ふじいりえさんの『わたしをいきる』。相手に手渡すかどうかはそのとき考えるとして、嘆きの中にある友を訪ねるときに、かばんに入れておきたいと思う。「もしかしたら、いいかも」と感じたら、さりげなく贈りたい。「こんなのあるんだけど」って。小さく、薄い本だ。そのうえ、ことばはごくわずか。小さなページに、ポツリと置かれた一行のことば。でも読む人は、そのページの余白に、瞬時にして「自分に起こったこと」を見るだろうし、「自分の気持ち」が太字になって浮き上がるだろう。「わたし」を読むように、きっとゆっくりページをめくるだろう。
人は生きる。生き方とか生きる術とかは横に置いといて、人は生きる。生きることそのものは、けっこう痛く、苦しく、しんどい。想定なんてできないし、自分でどうにもならないことばかりだから、生きるとは誰にとっても不条理との戦いだ。でも生きる。生きることによって、わたしたちは出会う。神に、そして他者に。創られ、贈られ、知られ、支えられ、助けられて生きるわたしと、わたしの命のかけがえのなさに、出会う。そう、わたしがわたしを生きるとき、わたしとわたしの人生は紛れもなく尊い。
病室を訪問して、すっきりと帰路についたためしなどなかった。慰めにも励ましにもならない自分にしょぼくれていた。でも、わたしたちは祈りの中で苦しむことができるし、祈りの中でもがくことができる。それに取りすがるようにしばらくの時間、横にいる。病室を訪ねるって、ただ、そのことだったように思う。

『わたしをいきる』
ふじいりえ 著
B6変判 1,200 円+税
いのちのことば社