みんなで聖書を読もう!
 ―デボーション、聖書通読のススメ ■途切れても、決してやめないこと

下川 友也
日本同盟基督教団 日高キリスト教会牧師

罪人である私たちは、世俗のただ中に置かれるとたやすく流されていきます。自然に祈れるようになった、とか ぼけっとしていたら聖書を読めるようになった、ということはないのです。
「努力」とか「がんばり」が、キリスト教界では嫌われます。すべてめぐみです、ありのままでいいの、という空気が支配しています。しかし私は断然それに反対で、努力、決心、さあがんばろうと呼びかけます。聖書にも、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」(申命記6・5)とあるではないですか。フォーサイスは、きびしくも、祈らないことの懲罰が霊的失語症であると断言します。ですから聖書を読もうとしないことは、結果として拒食症を招き、信仰者の活力を失っていきます。
野球の選手はバットの素振りを飽くことなく続けます。卓球の選手もフォアハンド、バックハンド、フットワークと、ひとりでこつこつ励みます。楽器の演奏者もくりかえし、くりかえし楽譜をなぞります。すべての道はきびしい訓練によって究められていきます。どうしてクリスチャンだけがせっかくの聖書を、祈りの世界を、熱心に探求しないでいいのでしょう。
牧師なりたてのころ、先輩から「牧師は一日に一時間読書しなさい」と言われ、では世俗書一時間、聖書一時間と励行していました。
良いとはわかっていても三日坊主というのが世の常です。途切れても、断続的に続け、決してやめないことが大切です。まず今日から、創世記を一日十章読みましょう(拙著『速読のすすめ』を参照)。この決心と努力でだれもが聖書通読の壁を破れます。福岡の日本バプテスト連盟・野方キリスト教会、兵庫の日本福音教会・上郡福音教会などで聖書通読をチャレンジした後、ものの二、三か月で五、六名の方々が通読完了の報告を送ってくれました。努力しない人は決して読めません。
決心しない人は実を結べません。
サタンの力は、クリスチャンの善意など軽く一蹴してしまうのです。
聖書を読むだけでは何にもならない、というのもおかしいです。聖書は読む者に天からの力を与え、神に献身する喜びを与えます。聖書を二十四時間読むわけではありません。しかしまずは、十分―三十分―一時間と集中していくうちに、視界が開けます。祈りが現実逃避でないように、みことばへの真実の取り組みは、この世界へのかかわりとその力を与えてくれるものです。
揺るがぬ決心、たゆまぬ努力、教会の兄弟と、姉妹と、牧師、牧師夫人と組んで、この年みことばに、祈りに新しい開拓をしてみましょう。努力も決心も、実は神の賜物であることを知っていくのが信仰生活のよろこびです。