みことばを白衣の下にまといつつ 最終回 新しいこと


斎藤真理
内科医

1年の計

 一月一日、デボーションガイドが私に迫ってきた。

 「見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける」(イザヤ四三章)

 「新しい事を今年は十個する」と決めた。が、計画は何もなかった。「十」にも根拠はない。

時間が生むもの

 日常のルールを新しくした。約束をするとき、候補の一番近い方を選ぶ。気の進まない仕事も、誰かに会う時も。おかげで仕事がはかどる。応用編で、思い立ったらすぐやる、のも気持ちがいい。ウォシュレット交換、地デジ対応テレビ購入、胡蝶蘭プレゼント、旭川の花畑巡りなど。

 テレビにとらわれない。でも、社会の動きを知りたい。興味ある番組は多い。録画して早送りを駆使しながら観る。朝から晩まで、DVDやインターネット、新聞、雑誌など他のメディアからの情報収集で精一杯。時間管理、難しい課題だ。

 遅寝早起きの習慣を変えた。仕事を持ち帰らない。ジャイアンツの勝敗を確かめない。夕飯後、本も読まずにすぐ消灯。朝もゆっくり起きる。長い会議、冗長な講演でも居眠りをしなくなった。インフルエンザ診療の最前線にいるが、ビクともしない。

元気のもと

 「医者の不養生」「紺屋の白袴」と言われても、少々の体調不良は当たり前と納得していた。やせ我慢も限界、そろそろメンテナンスすべきと自覚した。

 検査すればきっと手術が必要だとわかっていてMRIを受けた。その画像を見て、担当医の提案前から、欠勤するため手帳とにらめっこを始めた。生粋の内科医なのに、外科手術に絶大なる信頼をおいている自分に驚いた。少しの不安もなく過ごせた。

 繁忙を言い訳に、学生時代以来会っていない友人たちがいた。出不精を返上。誰かが倒れた連絡で会うことになるのは避けたかった。「先生」と呼ばれない間柄の人たちを大切にしたい。

 限られた空間で花や野菜を育てる。枯れても虫が食ってもひるまない。今年は「芽キャベツ」に初挑戦。まだ葉っぱだけなのに豊作を予期して、誰に配ろうか思案している。

ふみだす度胸

 英語スピーキングのレッスンは、バンジージャンプ的スリルを持って受け始めた。コミュニケーションのプロでありたい私にとって、英語による自己表現は大きな展望である。

 フィンランドでは、「いくつになっても勉強。やり直しがきく社会。不況を乗り越えるため、再教育を奨励。一人ひとりの能力が国の重要資産となる」と言われるらしい。素敵な国だなあ、とパラティッシ(私の周辺でお気に入りの食器)だけでなく憧れている。

 「人事」に左右される二十年余。どこに行くのか知らないでも、遣わされるところが働き場と受け入れてきた。しかし、初めて病院長室へ(たぶん)血相を変えて飛び込んだ。「来年はこうしたいです。現状維持、あるいは延長線上を望んでいません」。振り出しに戻るリスクを背負い込んだ。「いけーっ」と背中を押された。

伝える力

 市民公開講座を引き受けた。今まで自分と患者さんの日常をネタに話したくなかった。自殺予防の啓蒙活動に励むドクターから依頼され、首を縦に振った。十年前、患者さんが残してくださった日記を通して、「大切な人を守るために私たちは何ができるか?」と考えてみた。日記は「十月十日。孫の運動会。体調良好」が最後だった。

 社会人大学院で文系の方たちに、在宅緩和ケア論を連続講義する高いハードルを跳び始めた。自分で実践していないことは教えられない、が持論なので、急遽在宅診療の修業に出かけた。関係図書も取り寄せた。日本では発展途上であることがわかった。

 ただし、緩和ケアの視点「生活・自然・安心」が凝縮されていた。それぞれが自分のスタイルで生きていた。神棚や仏壇と一緒に寝ている人が多かった。綺麗なお宅もあれば、必要なものがすべて手の届くところにあって大変なことになっていたりする。


 いのちのことば執筆。頭をひねり絞って綴る半年が始まった。タフな仕事だったがとうとう最終回までこぎつけた。「文章が新しい」とメールをくれた人がいた。脱稿するたびに深く反省する私には、百人力のエールだった。

 たくさん参考文献がありながら、わずかな先輩諸氏しか記載できなかった。部長室いっぱいに本が並んでいる。それら全部が私の糧になって、言葉になった。深謝している。

 「新しい歌を主に歌え」(詩篇九六篇)