これって何が論点?! 第6回 「特定秘密保護法」の問題点

星出卓也
日本長老教会
西武柳沢キリスト教会牧師。
日本福音同盟(JEA)社会委員会委員、日本キリスト教協議会(NCC)靖国
神社問題委員会委員。

「特定秘密保護法」とはどのようなものか、どこに問題があるのか。主な三つの内容を見ていきましょう。
① 情報を「特定秘密」に指定すること
この〝特定秘密〟とは何でしょうか。特定秘密保護法、第三条「特定秘密の指定」には、「その漏えいが我が国の安全保障に著しい支障を与えるおそれがあるため、特に秘匿することが必要であるもの」を「特定秘密として指定する」とあります。具体的に「別表」に従って分類すれば、「防衛」「外交」「特定有害活動(スパイ活動)の防止」「テロリズムの防止」に関する情報です。いくつも項目が羅列されていますので、一見、情報の範囲は制限されているようにも見えます。しかし注意して読むと、「その他の重要な情報」「その他の防衛の用に供する物」「その他の安全保障に関する重要なもの」など、「その他」ということばがたくさん登場します。「その他」がどこまで指すのかは、特に記されていません。「著しい支障を与えるおそれがある」と極めて曖昧であり、秘密の指定を行う行政機関の判断でいかようにも解釈できる余地を与えています。
また、「特定秘密」の指定を行う主体も、秘密保護の期間延長を認可する主体もすべて「行政機関の長」です。秘密期間を最長六十年まで延長することも、内閣の承認があれば可能で、国会の承認は一貫して不要です(さらに暗号、武器情報、情報源などの七項目は無期限延長が可能)。
「防衛」「外交」「公共の安全保障」と聞くと、一般市民には関係がない、と考えやすいと思います。ところが同法では、処罰の対象者も限りなく広げることができるのです。「防衛」に関しても自衛隊や公務員だけではなく、自衛隊に装備品を納入している業者、製品の性能を知っている企業関係者も対象となります。「外交」となれば、経済活動が深く関わりますので、ビジネスマンも秘密漏えいの処罰対象者となり、スパイやテロリズムに関する「公共の安全」となれば、国民全員が対象となる可能性を秘めています。さらに大変なことは、何が〝特定秘密”と指定されたか自体が秘密となることです。ある日突然に、身に何の覚えもなく「特定秘密を漏えいした」と取り調べを受け、逮捕されたり、何に関しての秘密漏えいなのかさえ、知らされないことも起こりうるのです。特にジャーナリストたちは「機密」に触れる可能性が高いため、処罰される危険にいつも晒され、当然、取材活動も委縮させられてしまうでしょう。これは戦前・戦中に「軍機保護法」下で、実際に起ったことです。国民には、政府や軍の発表以外は何も知らせない、語らせない、という言論統制が徹底されたのです。

② 秘密を扱う人の「適正評価の実施」を導入すること
何より重要な問題点は、情報を取り扱う人の適性評価を実施すると規定していることです。評価されるのは公務員だけでなく、特定秘密の取扱いの業務を行うことができるとされる者であり、しかもその家族、同居人の氏名や国籍なども対象です。精神疾患、飲酒についての節度、経済的な状況などのプライバシーが調査され、しかもその調査項目は、「秘密指定」と同様に、「調査を行うため必要な範囲内」と曖昧で、いかようにも広げることが可能ですので、思想、宗教、政治信条へと拡大することも考えられます。実際に戦時下では、国家機密を守るという名目で、政府が市民に対する思想調査を意のままに行い、戦時体制に反対できないように、思想統制がなされました。「適正評価の実施」は、これと同じ権限を政府に与えることにつながります。

③ 厳罰化の目的、秘密国家・軍事国家への道
同法では、すべての国民を対象とし、懲役十年以下という厳罰を科す一方、政府の不正や国民をだますことについては、何の罰則も問わないというアンバランスが際立っています。政府の不正行為を行政機関の長が恣意的に「特定秘密」とすれば、内部告発者に対しても、外部から真相を究明しようとする者に対しても、厳罰によって威嚇して情報を統制することが可能となるのです。まさに「見ザル、聞かザル、言わザル」です。そうして、偏った情報だけを提示すれば、「戦争やむなし」と国民に思わせることが可能になるのです。厳罰化の目的はここにあると思われます。
同法には、「我が国及び国民の安全の確保」という大義が掲げられています。しかし、国家体制を守るためには、国民の権利を犠牲にするというのがその趣旨なのです。ここでの「国を守る」と「国民を守る」は決して同じではなく、むしろ対立していると見る必要があります。同法案が語る「我が国」とは、自民党憲法改正草案が記す「天皇元首による国家体制」を意味するのです。同法の目的は、現憲法による民主主義国の解体、「国のために国民の犠牲やむなし」という戦時下の国家体制の復古と考えられるでしょう。政治の暴走を止める責任は、主権者である私たち国民にあります。日本の教会・クリスチャンたちが、民主化された平和な社会を作る良きリーダーシップを担うことができるなら、本当に幸いなことではないでしょうか。
民主権の道を捨て、軍国主義化の道を歩む、戦後史の決定的な負の一歩となることでしょう。この法案は、民主化への道を歩もうとする国際的な流れにも逆行しています。
この政治の暴走を止める責任は私たち市民にあります。秘密国家への道を留め、民主化された平和国家を作る良きリーダーシップを、日本の教会・クリスチャンたちが担うことができるなら、本当に幸いなことではないでしょうか。

つのことを詳しく見ていきましょう。