『まんがキリスト教の歴史』完結!

2004年に企画がスタートした『まんがキリスト教の歴史』。前後篇を合本した「世界篇」に次いで「日本篇」が2014年秋に上梓され、このシリーズは一応の完結を見た。完結まで実に10年の時を要した大作を描き終えた樋口氏に話を聞いた。

 十年の長きにわたり「世界篇」と「日本篇」で『まんがキリスト教の歴史』を描いてこられましたが、完結した今、どのようなご感想をお持ちでしょうか。
 ああ、これで終ったんだなという充足感はあります。「世界篇」とそろって、いいまとまりになったかなとも思います。 ただ、「世界篇」の時は前後篇で四年かかったので「日本篇」は、今度こそもっと早くと思ったのですが、逆にもっと時間がかかってしまいました。
 まず資料を読み込むことから始め全体の構成を考えるのですが、それに二年くらいかかりました。三年目にやっと少しずつラフなコマ割りを描き始めたのですが、丁度その頃に東日本大震災が起こって作業が止まってしまいました。無常感のようなものに支配されて机に向かっていても何を描いていいかわからず、仕事が手に着かなくなりました。
 両目とも白内障の手術をされて、思うように描くことができない時期もありましたね?
 最初は気づきませんでした。ただ、なんでこんなに作業効率が悪いんだろうと思っていました。それに日本人を描くのが初めてだったこともあり、絵でも苦労しました。
 歴史上の人物は肖像が残っていますから勝手なことはできないので、それをアレンジして似顔絵風に描きました。また、当時の武将がキリスト教とどのように関わりがあったかなどは資料があまり残っていなくて調べるのが大変でした。
 歴史まんがなので事象的なことを描いてどんどん先に進んでいく手法をとりました。そのため、人物を深く掘り下げることができないのがストレスに感じられることもありました。便宜上、宣教師側に視点を置いたので、なかなか日本人側に感情移入しづらいかとも思います。
 それでも二十六聖人殉教の場面などは、逆に抑えた表現だから伝わってくるものがあります。全体に、とても客観的な視点で史実に忠実に描かれているのが大きな特徴ですね。
 あまり残酷な絵は描きたくないですし、取り立ててそこを強調して描く必要はないと思います。これは作家が解釈するものではなくて、ただ、一つのキリスト教の流れがまんがになったというもので、そこに作家性は必要ないのです。物語を作っているわけではないから、客観的な視点で淡々と描くことが大事なことだと思いました。
 それには私がずっとアニメーションをやってきていることも大きかったと思います。アニメーター(アニメ制作者)というのは作家ではなく職人なのです。物や人物をどう動かすか、このストーリーをどう表現するかなど、その技術を提供するのです。
 今回も、キリスト教史をまんがにするということに対して、どう構成し組み立て表現すればいちばん人に伝わるかという職人的な意識で臨みました。
 だから読みやすいんですね。それに禁教時代と明治以降では作品の雰囲気がガラッと変わってすごくメリハリがあります。
 現代編でプロテスタントの宣教師たちが日本に入ってくるあたりから生き生きしてくるというか、聖書を和訳するヘボンとか、新しいことに挑戦しようという人たちを描くのは楽しかったです。殉教する人たちを描くのはつらかったので。ものづくりにかかわる人間が出てくる頃からですね、楽しくなったのは。
 本当はもっと明治以降の人をいろいろ描けばよかったんでしょうけど、あまりにもキリスト教が発展して広がりすぎていて、誰をピックアップするかも難しくなって、賀川豊彦だけで終っている印象ですね。でも、本来は賀川豊彦も描く予定ではなかった。あれはおまけです。(笑)
 そのあたりを詳しく描き出すと、また一冊別な本ができますね。
 それにしても、そもそもは『まんが聖書物語』から続けて『まんがキリスト教の歴史』「世界篇」、「日本篇」という流れで描かれたわけで、これはぜひ続けて読んで頂きたいですね。
 そうですね。「世界篇」に青年ザビエルがロヨラと出会いイエズス会が創設され、世界宣教を志すまでが描かれているので。そこにたまたまアンジロウという人間との出会いがあって、ザビエルは日本に興味をもったのか、という流れになっています。「日本篇」はそこから始まりますから。