「ダビデの子」イエス・キリスト 第9回 「ダビデがしたこと」

三浦譲
日本長老教会横浜山手キリスト教会牧師、聖書宣教会聖書神学舎教師

やがてのメシヤがダビデの子孫から起こされるという神の約束(Ⅱサムエル7章)の成就として、イエス・キリストは誕生します。そのメシヤニズムには、当然のごとく「血統」的(genealogical)側面がありますが、これまで見過ごされてきた点として「予型」的(typological)側面もあります。この「ダビデの子」シリーズでは、そのような予型的側面をも取り上げています。

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新約聖書においてダビデとイエス・キリストの関係を考えるとき、興味深い記事の一つとして、イエスの弟子たちが麦畑の麦の穂を摘んだ事件に関するものがあります(マタイ12・1―8、マルコ2・23―28、ルカ6・1―5)。
「イエスの答え」

その日が安息日であったために、イエスの弟子たちは「してはならないこと」をしたとして、パリサイ人たちから非難を受けます。しかし、イエスは答えます。「あなたがたは、ダビデが連れの者といっしょにいて、ひもじかったときにしたことを読まなかったのですか。ダビデは神の家に入って、祭司以外の者はだれも食べてはならない供えのパンを取って、自分も食べたし、供の者にも与えたではありませんか」(ルカ6・3―4)。イエスが自身をダビデと比べているという点で、この記事はとても興味深いのです。

ダビデがしたこと

ここで「ダビデがしたこと」とは、Ⅰサムエル21章1―9節に書かれてある出来事です。確かに、ダビデは祭司のみが食べることのできる聖別されたパンを受け取ります。いくつかのユダヤ教文書では、ここでダビデが「聖別されたパン」ではなく、ただの食糧を手に入れたかのように記録されています。このたびのダビデの行動が、不可解だと思われたがゆえのことだったのでしょう。しかし、そのようなユダヤ教文書においてさえも、総じてこのダビデの行動は彼の罪とはされませんでした。ユダヤの人たちにとっては、ダビデは「律法の権威者」でもありました。
イエスは、自身とその弟子たちが非難されたとき、「ダビデを見よ」とダビデを指差します。そして、こう言われます。「人の子は、安息日の主です」(ルカ6・5)。ある意味、すごい宣言です。当時、たとえ律法の学者たちが安息日に関するこまごまとした規定を作っていようとも、イエスは自身を「安息日の主」と宣言し、暗にご自身がダビデ以上の権威者であることを語ります。

苦難におけるダビデとイエス

しかし、ここでもう一つ覚えたいことは、Ⅰサムエル21章におけるダビデの姿は、彼の生涯の中で最もみじめな姿の一つといっても過言ではないということです。この事件の後、ダビデはガテの王アキシュのところへ行き、「気が違った」かのようなふるまいをします(Ⅰサムエル21・10―15)。サウルに追われていたのでした。そして、サムエル記第一では、続いて22章においてダビデのコミュニティーが描かれます。「……彼の兄弟たちや、彼の父の家のみなの者が、これを聞いて、そのダビデのところに下って来た。また、困窮している者、負債のある者、不満のある者たちもみな、彼のところに集まって来たので、ダビデは彼らの長となった。……」(1―2節)。
イエスも、弟子たちが麦畑の麦の穂を摘んだこの事件の後、安息日に右手のなえた人の癒やしを行い(ルカ6・6―10)、そのときからユダヤの指導者たちから嫌われ、迫害を受け始めます。「すると彼らはすっかり分別を失ってしまって、イエスをどうしてやろうかと話し合った」(ルカ6・11)。共観福音書の中でも特にルカの福音書の文脈に注目すると、ここでイエスは十二弟子を選ばれ(ルカ6・12―16)、そしてこのイエスと弟子たちのところへ大ぜいの苦しむ者たちが集まります(17―19節)ダビデにもコミュニティーがあったように、イエスにもやはり彼を取り巻くコミュニティーがありました。
そして、ルカの福音書では、「貧しい者は幸いです。……いま飢えている者は幸いです。……いま泣く者は幸いです。……」というイエスの説教が続きます(20―21節)。まさしく、先ほど麦の穂を摘むまでして飢えていた弟子たちにとっての福音のメッセージであったことでしょう。そして、イエスは言います。「人の子のため、人々があなたがたを憎むとき、あなたがたを除名し、辱め、あなたがたの名をあしざまにけなすとき、あなたがたは幸いです」(22節)。

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単に権威ある王としてだけではなく、苦難の義人としても、ダビデはやがてのメシヤなるイエス・キリストを指し示していたように思います。そして、その類似する関係は単にダビデとイエス・キリストのみならず、そのコミュニティーにまでいたるのかもしれません。