ブック・レビュー 「偽造された神々」の見きわめを迫る

 『偽りの神々 かなわない夢と唯一の希望』
遠藤克則
改革長老教会(カベナンター)日本中会
北鈴蘭台伝道所牧師/ 神戸神学館教師

本書はCounterfeit Gods : the empty promises of money, sex, and power, and the only hope that matters(二〇〇九)の邦訳です。同じ著者による『「放蕩」する神』(原題The Prodigal God)に続き、廣橋麻子さんの読みやすい訳で日本の読者の手に届くことになりました。
かつて故フランシス・シェーファー(一九一二―一九八四)は、スイスの山村に住む彼のもとをはるばる訪ねて来た青年たち―無神論者や不可知論者も含めて様々な宗教的・哲学的背景を持つ人々―に福音を説きました。
著者のティモシー・ケラー(一九五〇―)は今日、そのような伝道を大都会ニューヨークの中心部で行っています。しかもそれは、改革派信仰に立つ長老教会での礼拝を核としつつも、非キリスト教化していく現代北米社会での宣教を念頭に置いたもので、使徒パウロのアテネ伝道(使徒の働き17章)を思い起こさせるものです。
本書の内容の大半は、「偽りの神々」(原題を直訳すれば、「偽造された神々」)の虜になった聖書の登場人物の問題点を分析することに割かれています。
詳細は読んでいただきたいのですが、著者がスポットライトを当てている人物と、その偶像崇拝の問題とは次のとおりです。「アブラハムのその子イサクへの愛」「ヤコブのラケルへの思慕」「ザアカイの金銭欲」「ナアマンの権威信奉」「ネブカデネザル王の権力欲」「ヨナの異邦人に対する優越感や宣教での成功願望」
これらの文章を読み、改めて気付かされることがあります。それは宗教改革者カルヴァンが記したように、「人間の性質とは、いわば絶えることない偶像工場」(『綱要』第一篇より)であって、「偽造された神々」は次々と私たちの内で生産されているということです。
著者が最後に示す処方箋は、コロサイ人への手紙3章にありますが、その前段階として「偽造された神々」という致命的な病根のリストによって、私たちにそれらの見きわめと悔い改めを迫ります。