ウツと上手につき合うには 第3回 あまり自分を責めないで


斎藤登志子

 うつ病の症状のひとつに自責の念があります。過度に自分を責める傾向のことです。うつ病の人は学業や仕事、家事などが十分にできていないと感じてしまいがちです。たいていの場合、うつ病になるような人は完全主義者であり、自分に対する評価が厳しすぎるのです。客観的に見れば平均的に仕事をこなしていても、本人は自分に「ダメだ」と烙印を押してしまうのです。うつ状態がひどくなると何もできないにもかかわらず、自責の念は増します。そうなると、自分は役に立たない人間だ、生きている価値などない、いっそ死んだほうがましだという考えが頭を離れなくなります。だから、うつ病は危険なのです。

 しかし、ここでもうひとつ取り上げなければいけないと思うことがあります。それは、プロテスタント教会にはうつ病患者の自責の念をさらに強める要因があるのではないかということです。うつ病になると体力も気力も弱ってしまうので、集会出席が困難になります。おまけにたいていの教会では礼拝はうつ病患者の体調の悪い午前中にあります。起きようとしても起きられずに、礼拝を休んでしまった罪責感から悶々と苦しむことになります。

 また、教会の中には聖書にはっきり記されているわけではないけれども、守らなければならないと多くの人が考えている不文律が存在します。礼拝には(必ず)出席しなければならない、毎日聖書を読み祈らなければならない、奉仕は少なくともひとつはしなければならない、などなど。うつ病になるような人は、何事にも一生懸命で自分に甘くすることができないので、このような不文律を守れない自分をゆるすことができません。また人の目を人一倍気にするたちなので、常にほかの人との比較で自分をはかってしまい、いわば病的な罪責感にとらわれてしまうのです。そして、そのような誤った罪責感から自分は教会にはふさわしくない、神からも見捨てられていると錯覚して教会から離れてしまっている人が多いのが現実です。

 そのような人は、ぜひルカの福音書一五章を読んでください。神がどれほど迷子になった一匹の羊を、ほかの羊以上に愛しておられるかに目を留めてください。教会に行くこともできず、奉仕もできないあなたを神は本当に大切に思っておられるのです。

 さて、クリスチャンにとって正しい罪責感を持つことは大切だと思いますが、それは決して病的に自分の罪を数え上げるということではなく、聖霊が罪を示してくださるときにのみ、告白して赦しの恵みをいただくということでしょう。その意味においてパウロが言っているように、「自分で自分をさばくことをしない」姿勢(Ⅰコリント四・三参照)は重要だと思います。また、教会側も、うつ病の人に対しては「無理して集会に来なくていいよ、家でゆっくり休んで、来たくなったらいらっしゃい」と声をかける配慮が必要です。


あなたはちっとも悪くない

あなたはとてもまじめで
とてもがんばり屋さんなのでしょう。
なんでも一生懸命するから
がんばりすぎて疲れてしまったのですね。

自分を責めるのはやめましょう。
あなたはちっとも悪くない。
あなたは十分がんばった。
がんばりすぎて、力以上のことをして病気になってしまったのです。

だから自分を責めないでください。
だれも認めてくれなくても、
だれもやさしいことばをかけてくれなくても、
あなたが無理に無理をかさねてきたことはわかります。
あなた自身がいちばんわかっているはずです。

あなたはちっとも悪くない。
ちょっとがんばりすぎただけ。
だから、自分を責めないで。
自分をゆるしてあげましょう。
(『傷つきやすいあなたへ』木村藍 著、文芸社より)

 うつ状態に陥っている人は、それまでにがんばりすぎて、いわば燃え尽きた状態になっているのですから、周囲の人は、現状がどうであれ、あなたは十分やってきたとあたたかく認めてあげることが必要です。けれども、それ以上に必要なことは、自責の念にとらわれている本人が、自分のそれまでの努力を認め、自分をゆるすことだと思います。自分に対する評価ももう少しゆるくして、常に百点満点を目指すのではなく、六十点ぐらいを目標にするように心がけましょう。

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