西郷隆盛と聖書 聖書を読んだサムライたち

守部喜雅

2018年のNHK大河ドラマの主人公、西郷隆盛は、聖書を読み、人にも教えていたという証言が残っている。「敬天愛人」という言葉を大切にした、西郷の生涯を追った1冊。秘められた真実から浮かび上がる、新たな西郷像と出合える!

■お詫びと訂正<1>

弊社発行の『西郷隆盛と聖書』(2018年1月発行)の文中において、引用文とすべきところを、引用表記せずに掲載してしまいました(2か所)。
引用資料の著者および発行出版社、および読者の皆様に、お詫びして下記のように訂正をいたします。

なお、本件は不注意によるミスによって発生したものであり、意図的な盗用などではありませんでした。その旨、引用資料の著者および出版社にもご説明し、ご理解を賜りました。
今後、このようなミスが発生しないよう、留意いたします。
2019年12月11日
いのちのことば社 出版部
守部喜雅

◆正誤箇所
※本件は初版から3刷までに該当します。4刷以降は修正しています。

35p
<誤>
 しかし、残念なことに、事情を知らない韓国では、“日本の三大悪人”として、朝鮮侵略を行った豊臣秀吉、日韓併合の伊藤博文、そして征韓論の西郷隆盛が、今でも、憎悪の対象になっています。
<正>
 しかし、残念なことに、「事情を知らない韓国では、“日本の三大悪人”として、朝鮮侵攻を行った豊臣秀吉、日韓併合の伊藤博文、そして征韓論の西郷隆盛が、今でも憎悪の対象になっている」(同右)というのが現実です。

38p
<誤>
 この内容を読めば、西郷が強硬な征韓論を唱えたわけではなく、むしろ韓国側の理不尽な態度を“赦(ゆる)す”大きな度量を持って、あくまで平和的外交交渉を主張していたことが分かります。

<正>
 これに関して作家の北康利氏は、こう書いています。
 「この内容を読めば、西郷が強硬な征韓論を唱えたわけではなく、むしろ先方の無礼を“赦(ゆる)す”大きな度量を持って、あくまで平和的外交交渉を主張していたことがわかるだろう」(『西郷隆盛・命もいらず名もいらず』)。

『西郷隆盛と聖書』の引用表記ミスに関して<2>

弊社発行の『西郷隆盛と聖書』(2018年1月発行)の文中において、参考文献としていた本からの引用文とすべきところを、引用表記せずに掲載してしまいました(下記正誤箇所1参照)。2019年12月にお伝えした箇所に続いてのことで、重ねてお詫びいたします。引用資料の著者および発行出版社、また読者の皆様に、お詫びし、下記のように訂正をいたします。今後、このようなミスが発生しないよう、十分に注意いたします。

2020年7月30日
いのちのことば社
出版部

◆正誤箇所

1.p.35
<誤>
当時、朝鮮の釜山には倭館(日本の出先機関)がありましたが、駐在官から「陸軍若干、軍艦数隻をもって居留民を保護し、使節を派遣して解決されたい」と緊急の要請があり、いかなる決議を出すかが論議されたのです。当時の板垣退助参議が、この要請を入れて陸軍一大隊、軍艦と使節を派遣することに賛成の意を主張します。また三条太政大臣(閣議々長)も護衛兵と使節を軍艦に乗せてやることを認め、議決しようとしたのです。
ところが、ここに反対者がいた。西郷隆盛です。
<正>
 「釜山の日本公館駐在官から『陸軍若干、軍艦数隻をもって居留民を保護し、使節を派遣して解決されたい』と緊急の要請があり、閣議提出になったものである。
板垣退助参議が、この要請を入れて陸軍一大隊、軍艦と使節を派遣することに賛成、三条太政大臣(閣議々長)も護衛兵と使節を軍艦に乗せてやることを認め、議決しかけた。西郷がこれに反対した」
(『西郷南洲の道と明治維新』鮫島志芽太著)

2.p.44
<誤>木戸孝たか允よしなどの強硬派によってキリシタン弾圧が行われていたのです。
<正>強硬派によってキリシタン弾圧が行われていたのです。
※2項、3項は、木戸孝允がキリシタン弾圧を強硬に進めたという本書認識が誤りであったことによる修正。

3.p.95
<誤>キリシタンの迫害に積極的に関与していた木戸孝允はどうでしょう。彼は、幕末に起こった、長崎浦上村のキリシタン三千人の迫害を推進した張本人ですが、
<正>長州藩の中心的志士だった木戸孝たか允よしはどうでしょう。彼は、幕末に起きた長崎浦上村のキリシタン三千人に対し、明治政府の使者として流刑を宣告しましたが、

発行日:2018年01月25日
ページ数:
判型:
発行:いのちのことば社・フォレストブックス
ISBN:978-4-264-03878-8
商品番号:11780
定価:1,320円(税込)

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