時代を見る眼 384 次世代に平和を伝えるために〔3〕

平和をつくる同労者として

日本同盟基督教団 塩尻聖書教会 担任牧師 金やすみ

「次世代に平和を伝えるために」とのテーマについて考える時、まず思い浮かべるのは、子どもの頃の食卓の風景です。
私の育った家庭では、毎日家族そろって食卓を囲みながら、色々な話をしました。学校の話、教会の話、世の中の話、政治の話、信仰の話……。引っ込み思案だった私は、牧師である両親と、よくしゃべる兄との間で、食卓でなされる会話を聞いていることのほうが多かったように思います。それでも、何の話題であっても必ず信仰を土台としてなされる会話を聞きながら、また、「この世」と「聖書」というダブルスタンダードではない、この世で神のことばに忠実に従う両親の姿を見ながら、あらゆる物事を信仰の眼を通して見る視点が自然と形成されていきました。
次に思い浮かべるのは、教会です。教会では、みことばを通して平和への視点が養われました。聖書が語る平和を学び、平和を脅かす現代のあらゆる問題とどう向き合うべきかを学びました。牧師や教会学校の教師たちは、私が「子どもだからまだわからない」とは考えずに、「子どもだからこそまっすぐに語るべきだ」と考えて、子どもである私に、いつも真剣に神のことばを取り継いでくれました。
また、教団で毎年8月と2月に開かれる平和講演会等にも、子どもの頃から当たり前のように連れて行かれて参加していました。そこで見てきた、世の流れに流されずに、神さまが喜ばれる道を生涯かけて選び取ってきた大人の姿や、平和と信仰とを脅かすものに対して声をあげ続ける大人の姿は、子どもながらに深く心に焼きつき、私の信仰の財産となっています。
こうして振り返ると、身近にいる大人が子どもに与える影響はとても大きいことを思わされます。大人が思っている以上に、子どもたちはよく見て、聞いて、理解しています。ごまかしがききません。だからこそ、まずは大人が本気で神のことばに生きることが大切だと思うのです。次世代に平和を伝えたければ、中途半端な平和を語っていてはいけません。大人が諦めていてはいけません。聖書が語る平和を真剣に語り、その平和がなることを信じ、まずは私たちが神のことばを愚直に生きなければいけません。
そうして懸命に歩む私たち大人の姿を見た子どもたちもまた、一緒になって平和を考え、語り合い、身近なところから平和をもたらしていく。そんな同労者としての歩みができればと祈り支えていきたいです。