時代を見る眼 382 次世代に平和を伝えるために〔1〕

神の子どもとして平和をつくり出す

日本同盟基督教団 塩尻聖書教会 担任牧師 金やすみ

我が家には6歳の息子がいます。昔から何でも知りたがり、「それは何?どうして?」との息子からの問いに向き合い、答える日々を送っています。
そんな日常の中に、最近「戦争」という言葉が入り込んできました。大人たちの暴力が、子どもたちのまっさらで優しい世界にまで、確実に影を落としてくることへの憤りを覚えずにはいられません。それでも、そんな言葉が日常にある時代を生きている緊張感の中にあって、私たち大人のキリスト者は子どもたちに何を伝え、何を残していくことができるのか、模索する日々です。
イエスさまは言います。「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」(マタイの福音書5章9節)
決して「平和」とは言えない、むしろ真逆を突き進む世界の中で、このことばは私たちに重く響いてきます。
多くの人々は平和を願いますが、平和をどのように実現するかを巡り、また争いや分断が生じるという矛盾を突きつけられます。そんな現実を目の当たりにすると、平和への諦めの思いが芽生えてくることもあります。
そんな時、私たちは大事なことを忘れています。この地に平和をもたらすのは、他でもない神さまであるということを、です。私たちが求めるべきは、漠然とした平和ではありません。私たちに約束されている、神さまが愛と正義によって治められる完全な平和です。その約束を信じ待つ私たちは、愛の冷めていくこの社会で、愛の源である神の子どもとして、神さまの御心を求め、行うよう召されています。
そんなことを思い、私は子どもたちに、争い、戦争、迫害、貧困、この世の悲惨な現実について語る時、最後に「じゃあ、お祈りしようか!」と声をかけます。そうすることで、この世で起きているあらゆる出来事を、ただの「情報」で終わらせるのではなく、神の子どもとしてのつとめを果たすことへとつなげたいと願うからです。すると子どもたちは、まっすぐな言葉で、真剣に祈り始めます。祈る前は不安そうだった表情が、祈り終えると、安心した表情へと変えられる姿を見る度に、この子たちにもまた、主にある平和をつくり出す使命が与えられていることを思わされます。
だからこそ、まずは私たち大人が、この世と信仰とを分離させない生き方、この混沌とした社会の只中で、祝福の基である神の子どもとして平和をつくり出すことを諦めない姿を、次世代に見せていけたらと願っています。