書評books  真理、門、道、終着点であるイエスを見る

『ニュークラシック・シリーズ 神を見る生活』

『ニュークラシック・シリーズ 神を見る生活』
ロイ・ヘッション著
湖浜馨訳
四六判・160頁 定価1,540円(税込) いのちのことば社

hi-b.a.代表役員/日本長老教会教師 中台孝雄

作家・池澤夏樹の『また会う日まで』(朝日新聞出版、二〇二三年)中で、奉仕する日曜学校でどう話したらいいのか戸惑う主人公に、すでにベテラン教師であった妻がアドバイスをする場面があります。「福音書からイエス様のお話をすればいいの。大切なのはお話の最後に『イエスさまはいつでもあなたを見ていて下さる』と言うこと」
イエスは(神は)いつでも私たちを見ておられる。その事実を知ることは、私たちの人生にとって根幹であり、基本でもあるでしょう。それは同時に、その神がどのようなお方であるのか、私たちの側でも神を見上げて知ることにも関係します。本書は、その「神を見上げ、神を知る」ことがいかに大切であるかを記します。原題が「We Would See Jesus(イエスにお目にかかりたい=ヨハネ12・21)」であるように、神を見るとはイエスを見ることであるとして、イエスがどのようなお方であるかを教えています。
本書は、まず恵みとリバイバルについて解説されます。恵みとは個別の祝福というより、神が私たちに与えてくださる祝福の総体であること。リバイバルとは、大衆的な回心を指すことも確かだが、「神が主導権をもって信仰者の生涯の中になされる働き」として扱うことが説明されます。
そうした上で、私たちに必要なお方として、真理として、門として、道として、さらに終着点としてのイエスの姿を見ていきます。章が進むごとに私たちは、自分の罪深さと、努力によって救いを得ようとする虚しさを知り、さらには終着点であるイエスとは違う方向に、自分を義とする何かを求めようとする誤った信仰のあり方を正されます。
本書は、一九六二年に邦訳出版されていますが、今回新たな改訳を得て、昔の本といった印象が拭われて、今生きる私たちに必要なことを今語りかけているような新鮮さを宿すことに成功しています。最終章「ほかの人のためにイエスを見る」は、個人的なリバイバルがどのようにして大きな影響力を与えるリバイバルに育っていくのか、冒頭の伏線の回収にもなっています。それはぜひ、ご自分で読んで確認してください。