特集 聖書全体から福音を伝える絵本

『その と たれまく と じゅうじか』訳者 宮下 牧人


 オーストラリアの神学校で学び始めた、一年目のある日の授業中でした。
 「『ダビデが河原で拾った石はそれぞれ、信仰、勇気、力、知恵、訓練を表しています。ダビデは神を信じていました。そして勇気を持ってゴリヤテに立ち向かいました。ダビデは神の力と知恵に頼りました。そして、普段から石投げを使って、腕を磨いていました。みなさんの人生にも巨人ゴリヤテのような困難が行く手を立ちふさいでいるでしょうか。ダビデのように、信仰、勇気、力、知恵、訓練によって、乗り越えて行きましょう!』
 ……さて、この説教の問題点は何ですか」
 教授の問いかけに、私は混乱しました。授業中の例えでしたが、「敬虔な内容で、励まされるし、奮い立たされる」と感じたからです(数週間後に迫っている課題の締め切りが心のどこかにあったのも否めません)。
 「このメッセージの何がいけないんだろう?」
 すると、クラスメートたちが次々と指摘し始めました。
 「本文からは五つの石と『五つの徳』の関係を見出すことはできない。どんな徳だって思いつくし、当てはめることができる」
 「聖書的に見えても、福音を語ってない」
 「ダビデの勝利が指し示すのは、日々の私たちの小さな勝利ではなくて、イエス様の究極の大勝利」
 「ダビデはイスラエルをペリシテから救ったけど、イエスは世界中の人を罪と死というもっと深刻な敵から救ってくださる」
 目から鱗でした。私はクリスチャンの家庭に生まれ、教会の中で育ちましたが、実際はエマオの途上の弟子たちのように、目が遮られていたのです。あの弟子たちのように、聖書にある個々の有名な人物やエピソードは知ってましたが、それらがどうイエスを指し示し、イエスにあって成就するのか、そしてそれが当時の彼らにとって、また現代の私たちにとって、どう「良い知らせ」なのかを、理解していませんでした。私を含め、そのような弟子たちのために、イエスは、「モーセやすべての預言者たちから始めて、ご自分について聖書全体に書いてあることを彼らに説き明か」してくださいました(ルカ24・27)。
 『その と たれまく と じゅうじか』は、「エデンの園」「神殿の垂れ幕」、そして「十字架」という、一見無関係のような聖書のモチーフがどう繋がっているのかを、聖書自体から示しつつ、福音を語ります。また、私たちが聖書を読む時に、今読んでいる箇所がイエスとどう繋がっているのか、そして今を生きる私たちとどう関係があるのかを意識するよう、つまり、イエスが読んだように聖書を読むよう、小さな子どもにも、また読み聞かせる親にも、優しくお手本を示してくれます。
 この絵本を通して、何世代にもわたって日本中の子どもたちがイエスの十字架による救いにあずかり、神と生きる喜びに溢れるよう祈ります(詩篇145・4)。
 最後に、私が幼い頃から聖書に親しみ、キリストを知るように祈り育ててくれた家族と教会の方々一人ひとりに、そして、愛するシドニー日本語福音教会の子どもたちにこの絵本を献げます。