祈り祈られマリエリ交換日記 第3回 神様が開いてくださる扉から

神山美由記 嘉手納アッセンブリー教会 副牧師

 裕香さんへ
 賜物として与えられた裕香さんの篤い祈りは、ご両親をはじめ、身近におられた方々を通して育まれたものだったんですね。
 私が独身の時は、結婚のこともいつも祈ってくれていましたよね。いつだったか、大嶋家にお泊まりした時も、「美由記ちゃん、祈ってる人はいないの?」と聞いてくれました。あの晩、裕香さんのハンドマッサージで心身ともにリラックスした中で、夫のことを自然な流れで切り出しましたよね。
 ただ、その時は“祈っている人”でもなく、“好意がある”という感じでもない。「身近にいる独身の異性は?」と聞かれて話したのですが、裕香さんがランランと目を輝かせて「その人なんじゃない?」と言った瞬間、ギクっとしたのを覚えています。(笑)
 というのも、神学校の先輩だった夫とは実際に、結婚するずっと前の神学生時代に一度、お互いに祈ってみたことがあったからです。しかし、その時は交際に至りませんでした。だから私の中では「この人との(結婚への)導きはないだろう」と思っていたからです。
 裕香さんに話したのは、その神学校時代から五年ほど経過した後のことでした。「まだお互い独身なんだったら、可能性はあるんじゃない? 祈ってみたら?」と背中を押されながらも、「いやいや、あの時道が開かれなかったので、この先もないと思います」と妙に逃げ腰だった自分を思い出します。
 当時は三十代半ばに差しかかろうとしていた時期。周囲からも結婚について尋ねられることが多く、紹介のお話もあったりして。実際に紹介をしていただいた方とやり取りをしていた時期もありました。でも、周囲の声にも影響され、「年齢的にも急がなきゃいけない」という焦りと、実際に紹介された人とは祈ってみてもどこか気持ちが前に向かない、というか……これが俗に言う「平安がない?」という状態で、「結婚ってなんなんだ。年齢で焦って急がなきゃいけないの? どうして女性だけこんなに急かされるの?」と暗中模索の時期がありました。
 でも、一人で牧会していく中で、「こんな時に、助けとなる同労者がいたらなぁ」と思うことが多々あり、一緒に労苦を共にできるパートナーが与えられたらとは常々祈っていました。
 そういう中で「もう一度祈ってみたら?」という裕香さんの勧めが妙に心に残っていました。「神様、今の私は具体的に気持ちがあるというわけではありません。もう“この人とは違う”と一度心に蓋をした人です。また祈ってみる中で、再びダメだったら心がポキンと折れてしまいそうです」と正直に祈ってみました。
 牧師として周囲から結婚のことを相談される中で、いつも「神様が一番良い時に、道を開いてくださるからね。あきらめずに祈ろうね」と励ましてきた私です。でも、こと自分自身に関しては、本当に道が開かれる時が来るのだろうかという不信仰があったんですよね。
 でも、どんなことにおいても「神様が開いてくださる扉から進むことができますように」と祈ってきたので、この件に関しても、次第に「みこころならば、神様がその(結婚への)扉を開いてくださるだろう。違ったらまた別の導きがあると信じよう」と思えるようになったのです。祈られているからこそ、もう一度自身の結婚と向き合う勇気が与えられたんです。
 それからさらに一年半ほどして、コロナ禍の中、ほんとうに不思議なきっかけから夫との交際が始まりました。夫から結婚を前提にした交際を切り出された時に、それまでそんなことは起こり得ないと思っていただけに、「これはきっと神様からの答えなんだ」と受け取りました。
 ありえない扉を開かれるのは、いつも神様のなさることでしたからね。まさに、祈り、祈られてきた恵みのプロセスにあったからこそ、とても平安の中で結婚に向けても備えることができました。

 ところで、これまでの裕香さんの著書でも少し読みましたが、読者を代表して、裕香さんと大嶋先生の結婚までのプロセスも、ここで聞かせていただけませんか?