ニャン次郎の哲学的冒険 人間社会を生き抜くための西洋哲学入門 最終回 今後哲学はどこへ向う?

新しい世界観を説くガブリエル

ニャン次郎(代筆・岡村直樹)

ニャン次郎(主猫公)
クリスチャンで大学生の飼い主を持つ茶トラ猫。哲学の授業で困っている飼い主を助けるため、歴史上の様々な哲学者に直接会って話を聞く旅に出ることに!
岡村直樹(代筆者)
ニャン次郎の代筆者。
東京基督教大学の先生で、出身校であるトリニティー神学校ではキリスト教哲学を専攻。

 こんにちは! ニャン次郎です。
 ボクの飼い主のお兄さんは、大学の哲学のクラスで学んだ「新実在論」が全く理解できず、とても困っています。そんなお兄さんのため、今回はドイツ人哲学者のガブリエル先生に会って、お話を聞いてきました。
 マルクス・ガブリエル先生は一九八〇年生まれです。二〇〇九年には二十九歳の若さでボン大学の先生となり、多くの人を驚かせました。先生は十以上の言語を自由に操り、哲学や経済に関する専門書や一般書を多数執筆することから、「哲学界のロックスター」と呼ばれることもあるそうです。この連載「哲学的冒険」シリーズで紹介する最も若い、そして最後の哲学者です。
 ガブリエル先生の哲学は、「新実在論」と呼ばれる、西洋哲学の最新の流れのひとつです。「実在論」は、英語で realism(リアリズム)と書き、「現実主義」と訳されることがあります。先生はこの立場から、一八世紀に活躍した同じドイツ人の哲学者、カント先生を批判します。カント先生は、「世界はありのままの姿で人間に現れるのではなく、時間や空間といった人間固有の認識の枠組みによって、それぞれの心の中に形づくられる」と考えました。それは、「事実も価値も人間によって作られる」という思想として発展し、現代に至っています。ガブリエル先生は、近年のポストモダンの思想もその発展形であり、結果として「ニヒリズム」(この世界に本当の意味や価値はないというあきらめの感情)が広まってしまったのが残念だと言います。
 またガブリエル先生は、科学至上主義に対しても強い批判を語ります。科学そのものがダメだと言うのではなく、「科学で世界のすべてを説明できる」という考え方に問題があると言います。先生は「意味の場」という言葉を使って、それを説明してくれました。
 「ニャン次郎くん、ニャンコのかわいさを説明してくれるかい」
 「自分で言うのは恥ずかしいですが、つぶらな瞳とか、甘えた鳴き声とか、スリスリする動作とかでしょうか」
 「じゃあ、ニャンコの筋肉や骨格はどうだい?」
 「うーん、筋肉や骨格は、かわいさというよりニャンコの体の特徴でしょうか」
 「そうだね、『かわいさ』はニャンコのひとつの性質だけど、ニャンコを全体として理解するには、もっと色々な角度から捉えることが必要で、それを難しい言葉で『文脈』と言ったりするよ。僕は『意味の場』って呼んでいる。たとえばニャンコの『筋肉や骨格』は、生物学という意味の場に現れるし、『美しさ』は芸術という意味の場に、『癒やしとしての存在』は、心理という意味の場に現れる。ということは、同じニャンコでも『意味の場』の数だけ存在の形があるということになるよね。
 地球も同じだよ。科学という意味の場では、『直径一二、七〇〇キロの球体』だし、文化という意味の場では、『七、〇〇〇以上の言語が存在し、多様性と交流が続く場所』だね! 科学は、ひとつの限定的な意味の場であり、それだけで世界を全体として理解することはできないんだ」
 ガブリエル先生は、無限に広がる、そして優劣のない「意味の場」の中で、すべての存在を認めます。カント先生があきらめた「物自体」(物そのもの)も存在するし、「河童」のような想像上の生き物や、宗教の中で語られる「神」や「天使」も、それらが現れる無数の「意味の場」の中でリアルな存在として認めます。それは、カント先生によって始まり、ポストモダンの思想によって分断された「共通項を持たない世界」に、対話の場を提供する考え方だと言えるかもしれません。
 今後、「新実在論」がどう世の中に影響を与えていくのかまだはっきりとしませんが、神を信じるニャンコとしては、少し期待が持てる気がしています。ということで、お兄さんに報告します。
 「ニャン次郎の哲学的冒険」は、今回が最終回ですが、代筆を頼んだ親友の岡村くんが、この連載をわかりやすくまとめた西洋哲学入門書を書いてくれることになっています。どうぞお楽しみに。
 これまでお付き合いくださりありがとうございました。
 ニャン次郎でした。