ニャン次郎の哲学的冒険 人間社会を生き抜くための西洋哲学入門 第11回 対話で世界をつくる!

ネオ・プラグマティズムのローティー

ニャン次郎(代筆・岡村直樹)

ニャン次郎(主猫公)
クリスチャンで大学生の飼い主を持つ茶トラ猫。哲学の授業で困っている飼い主を助けるため、歴史上の様々な哲学者に直接会って話を聞く旅に出ることに!
岡村直樹(代筆者)
ニャン次郎の代筆者。
東京基督教大学の先生で、出身校であるトリニティー神学校ではキリスト教哲学を専攻。

こんにちは! ニャン次郎です。ボクの飼い主のお兄さんは、大学の哲学のクラスで学んだ「ネオ・プラグマティズム」が全く理解できず、とても困っています。そんなお兄さんのため、今回はアメリカ人哲学者のローティー先生に会ってお話を聞いてきました。
リチャード・ローティー先生は、一九三一年にニューヨークで生まれました。十五歳になる直前に、シカゴ大学に入学するという秀才で、二十五歳の若さでイェール大学から哲学の博士号を取得しています。
哲学者としてのローティー先生は、「ネオ・プラグマティズム」という哲学の流れに属します。「ネオ」とは、「新しい」という意味ですから、そこには「クラシック(古い)・プラグマティズム」も存在します。その哲学を提唱したパース、ジェームス、デューイといった先生たちは「真理とは何か」という問いを、日常の経験や実際の行動を基準にして考えました。
プラグマティズム(pragmatism)という名前は、ギリシア語のpragma(行為・実践)に由来します。この考え方では、「真理」を不変なものとしてではなく、人間の経験の中で「どのように働くか」によって判断します。たとえば、ある信念が人の行動を導き、不安を減らし、社会に良い影響を与えるなら、それは「真理」として働いていると言えると見なします。このように、「真理」がどう役に立つかを大切にする考え方として、プラグマティズムは「実用主義」とも呼ばれます。
それは十九世紀末から二十世紀初頭のアメリカ社会の価値観にマッチし、その勢いを誇った思想ですが、当時のヨーロッパの多くの学者たちからは、成果主義的であるといった批判を招いたそうです。その後、プラグマティズムは一旦下火となりましたが、一九七〇年代になって、ローティー先生の思想が、そこに新しい命を吹き込みました。先生は、こう言われました。
「ニャン次郎くんには、兄弟がたくさんいるそうだね。仲はいいかい?」
「はい、ニャン三郎、ニャン四郎、ニャン五郎、ニャン美姉さんもいます。ごはんの順番や、縁側の場所取りで、時々仲が悪くなります」
「そんなとき、どうするの?」
「ニャン美姉さんは元々捨て猫だったので、その時の話をしてくれます。そうするとみんな、世の中にはかわいそうなニャンコがたくさんいるし、もっとそっちに目を向けようと言うようになります」
「なるほど! ニャン美さんは哲学者だね。哲学者は絶対的な真理を追い求めるのではなく、世の中の痛みに目を向けつつ、みんなの心がひとつになるような提案をするという役割を担うのだとぼくは思うよ!」
『偶然性・アイロニー・連帯』(岩波書店)という著書の中でローティー先生は、「リベラル・アイロニスト」という生き方を薦めます。それは、この世の価値観や言葉に絶対的な基準はなく、自分の価値観や言葉もまた絶対ではないと理解すること。その上でこの世にある残酷さを減らし、強制的にではなく対話を通して違いを超え、少しずつ団結していこうとする生き方です。
この考え方は、世界全体が「ポストモダン」の多文化共生社会に向かっていく上で、一部の哲学者から高い評価を受けているようです。ローティー先生は、日常会話や文学、また社会問題の中で哲学を再発見しようとし、それを抽象的な正しさの探究から、優しい社会を育てる方向へと向けたと言う人もいるそうです。
またローティー先生自身は、無神論者であると言われますが、宗教は必要ないとは考えないそうです。もし宗教が世界の中の残酷さを減らすといった良い役割を果たすなら、つまり「有用性」があるなら、それをある程度認めるという立場をとります。無神論者でありながら、宗教を否定しないのはありがたいですが、「有用性」が宗教の基準となるということは、「役にさえ立てば何の宗教でも良い」ということになりますから、それはちょっと困りますね。ということで、お兄さんに報告します。
次回は、「ポストモダン」の次の哲学を担うと言われる、ドイツ人哲学者のガブリエル先生に会いに行きます。
ニャン次郎でした。