連載 ニャン次郎の哲学的冒険 人間社会を生き抜くための西洋哲学入門 第9回 「世界には構造がある!」 西洋中心主義を批判した レヴィ=ストロース
ニャン次郎(代筆・岡村直樹)
ニャン次郎(主猫公)
クリスチャンで大学生の飼い主を持つ茶トラ猫。哲学の授業で困っている飼い主を助けるため、歴史上の様々な哲学者に直接会って話を聞く旅に出ることに!
岡村直樹(代筆者)
ニャン次郎の代筆者。
東京基督教大学の先生で、出身校であるトリニティー神学校ではキリスト教哲学を専攻。
こんにちは! ニャン次郎です。ボクの飼い主のお兄さんは、大学の哲学のクラスで学んだ「構造主義」が全く理解できず、とても困っています。そんなお兄さんのため、今回は文化人類学者で哲学者のレヴィ=ストロース先生に会ってお話を聞いてきました。
レヴィ=ストロース先生は、一九〇八年にベルギーのブリュッセルでユダヤ人家庭に生まれました。パリのソルボンヌ大学で法学と哲学を学び、一九三五年からは、ブラジルのサンパウロ大学の教授となりました。帰国後は、ナチスによる迫害を恐れてアメリカに亡命しましたが、戦後はフランスに戻り、研究と教育を続けました。先生は親日家としても知られ、一九九三年には勲二等旭日重光章が贈られています。
レヴィ=ストロース先生は文化人類学者として、当時「未開の地」と呼ばれていた地域を訪れ、そこでの結婚の習慣を調べたり、神話や物語を集めたりしました。すると、文化ごとに違って見えるものの、その奥には、人間の考え方や社会を形づくる共通のしくみが隠れていることを見つけました。たとえば人間には、「昼と夜」「善と悪」「生と死」「猫派と犬派」のように、物事を二つに分けて考える傾向があります。これは特別に学ばなくても、どの国の人でも共通して持っている思考のしくみです。先生は、世界の文化や習慣の違いの背後に、このような共通する見えない考え方や構造があると考えました。これを難しい言葉で「構造主義」と言うそうです。
さらに先生は『野生の思考』(邦訳・みすず書房)という本の中で、未開文化の特徴について語っています。「野生」とは、西洋化していない、自然と共にある文化といった意味です。そこに科学的な考え方はないものの、目の前にあるものを組み合わせて、柔軟に世界を理解しようとする思考の方法があり、先生はそれを、「ブリコラージュ」(寄せ集め的制作)と呼びました。
「ニャン次郎くんの家には、ニャンコの遊び場はあるかい?」
「はい、親戚のおじさんがオンラインで買ってくれた素敵なキャット・タワーがあります。あと、お兄さんがスーパーでもらったダンボールで作ってくれたおうちもあります」
「どっちが人気かな?」
「ニャン美姉さんはキャット・タワーがお気に入りだけど、ぼくはお兄さんのダンボールのおうちが好きです」
「キャット・タワーは、設計図に基づいて工場で合理的に組み立てられた既製品だね。一方、ダンボールのおうちは、お兄さんがあり合わせの素材で工夫して作ってくれた唯一無二の作品だ。ぼくはそれを『ブリコラージュ』って呼んでいるけど、実はそこに、西洋と野生の思考の違いが現れているんだ。それぞれは、別の考え方や方法で作られているだけで、そこに優劣はないんだよ」
レヴィ=ストロース先生が未開社会を研究していた頃、フランスではサルトル先生の「実存主義」が大人気でした。サルトル先生は「人間は自由な行動で歴史を進歩させ、未開から文明へ向かう」と唱え、さらに西洋社会を世界の文明の先端であると捉えていました。しかしレヴィ=ストロース先生は、それは西洋中心主義的な思い込みだと指摘します。世界の歴史や文化は、共通する無意識的な思考の構造によって形づくられており、そこにあるのは視点や方法の違いだけで、優劣はないと考えたからです。
これは「多元主義」とも呼ばれ、その後は文化だけではなく、宗教にも優劣を付けるべきではないという考え方に発展していきました。金子みすゞさんの詩で知られる「みんな違って、みんないい」みたいな考え方の元となったとも言えるかもしれません。
レヴィ=ストロース先生は、「実存主義」を論破したとも言われますが、「構造主義」は世の中の見方を説明しても、人間の生き方そのものを語る思想ではないと感じられました。ということで、お兄さんに報告します。
次回は、ポスト構造主義やポストモダンの哲学者と言われるデリダ先生に会ってお話を聞きます。ニャン次郎でした!