連載 ニャン次郎の哲学的冒険 人間社会を生き抜くための西洋哲学入門 第7回 「神は死んだ!」 神に頼らずに生きる哲学者ニーチェ
ニャン次郎(代筆・岡村直樹)
ニャン次郎(主猫公)
クリスチャンで大学生の飼い主を持つ茶トラ猫。哲学の授業で困っている飼い主を助けるため、歴史上の様々な哲学者に直接会って話を聞く旅に出ることに!
岡村直樹(代筆者)
ニャン次郎の代筆者。
東京基督教大学の先生で、出身校であるトリニティー神学校ではキリスト教哲学を専攻。
こんにちは! ニャン次郎です。ボクの飼い主のお兄さんは、大学の哲学のクラスで「神は死んだ!」と宣言した哲学者がいると聞き、大きなショックを受けて寝込んでしまいました。そんなお兄さんのため、ドイツ人哲学者のニーチェ先生に会って、お話を聞いてきました。
ニーチェ先生は、一八四四年にドイツのライプチヒ近郊の小さな村で生まれました。父親のカールさんはルター派の牧師でしたが、先生が五歳の時に亡くなり、父方の祖母と、その兄で牧師のクラウゼさんを頼って故郷から五〇キロほど離れたナウムブルクに移住しました。息子にも牧師になってほしいと願っていた母親のフランツィスカさんの勧めもあり、ボン大学の神学部で学びましたが、途中で信仰を失って学びをやめ、哲学と文学の道に進みました。
その後は体調不良で苦しむなか、家族や友人たちに支えられながら執筆家として活動し、代表作であり、「神は死んだ!」というフレーズが含まれる『ツァラトゥストラかく語りき』を著しました。この本は哲学書としてはめずらしく、寓話として書かれています。しかし残念ながら、出版当初はほとんど売れず、注目もされませんでした。主人公でもあるツァラトゥストラはニーチェ先生自身を表しており、本の中では、孤独に真理を探究する者として描かれています。ツァラトゥストラは、「拝火教」の開祖ゾロアスターのドイツ語読みですが、本の内容は「拝火教」とは無関係だそうです。
ニーチェ先生の生きていた一九世紀のヨーロッパは、産業革命や近代科学の発展によって、伝統的なキリスト教の価値観が大きく問い直される時代でした。特に都市部のインテリ層のあいだでは、無神論的な考え方が広まりつつありました。ニーチェ先生は、神はいないという信念のもと、「では、どう生きるべきか?」について一生懸命考え、そしてたどり着いた結論は、「超人として生きる!」でした。先生は、ボクにこう話しかけてくれました。
「ニャン次郎くんは、超人という生き方についてどう思うかい?」
「ボクはニャンコなので、よくわかりません。」
「超人とは、他人や社会の決めた価値に従うのではなく、置かれた境遇を受け入れ、自分自身で意味や生き方を創り出す人のことなんだ。」
「そうなんですね。でも、疲れそうですね。」
「苦しみを通して強く、そしてより自由になるんだよ。ニャン次郎くんも、超人、いや、超猫になりたいかい?」
「ボクは、ごはんを食べて、お昼寝をして、それだけで大満足です。」
「おお、きみはすでに超人の域に達しているかもしれないね!」
前回紹介したキルケゴール先生は、「自分の生き方を自分で選ぶ」ことを大切にしたことで「実存主義者」と呼ばれましたが、ニーチェ先生も同様にそう呼ばれます。キルケゴール先生が、「神への信仰」を通して本当の自分に近づくことを説いた一方、ニーチェ先生は、自分の力で価値を創り出す「超人」を目指す生き方を説きました。神の存在を認めないということから、先生の哲学は、「無神論的実存主義」と呼ばれます。ちなみに「神は死んだ」というフレーズは、ニーチェ先生の哲学の中心というより、前提のようなものだと思います。
ニーチェ先生の哲学は、その後の社会に大きな影響を与え、日本においてもニーチェ哲学の流行が繰り返し起こっています。特にバブル崩壊後の時代に入ると、先生の思想を元にした自己啓発本が数多く出版されるようになりました。現代日本で生きづらさを覚える一部の人たちは、ニーチェ先生の言葉を励ましとして受け止めているようですが、神に頼らず、自分の力だけで、自分の人生を、ただただ肯定して生きていくことは、容易いことではないですね。本当に「超人」でなければできないことだと思います。
ということで、これから寝込んでいるお兄さんに報告します。次回は、「実存は本質に先立つ!」というフレーズで有名な、サルトル先生に会ってお話を聞きます。
ニャン次郎でした!