祈り祈られマリエリ交換日記 第5回
踏み出した一歩
神山美由記 嘉手納アッセンブリー教会 副牧師
裕香さんへ
私にとってのエリサベツである裕香さんも、同じように長野におられるエリサベツのような先輩の祈りに支えられてこられたのですね。いつもその先輩のお話を伺うたびに、素敵な関係だなと思っています。そして、私も妹のような世代の方々と同じように関わっていきたいと願わされます。
さて、里親を始めるキッカケについては、今から約五年前の結婚当初の出来事にさかのぼります。結婚生活がスタートしてほどなく、私の体調に異変を感じました。大阪からの異動や引越しの疲れがここで来たのかなと思いましたが、まさかと思い、妊娠検査薬を使うと陽性反応が出ました。
「こんなに早く赤ちゃんが与えられるなんて!」と驚き、喜びが弾けそうな気持ちを抑えながら、産婦人科に行きました。お医者さんがニッコリ微笑んで「おめでとうございます! 妊娠〇週です」と言ってくれるのを期待して診察室に入りましたが、お医者さんはエコーを見つめながら厳しい表情で「現段階ではエコーで確認できません。再度受診してください」と一言。
数日後、再度受診するも同じ結果でした。さらに子宮外妊娠の可能性があると言われ、万が一、子宮以外の場所で受精卵が破裂を起こした時に出血大量で命に関わる可能性があるため、すぐに大きな病院を受診するように勧められ、翌日には別の病院に即日入院することになってしまいました。
その前の週まで期待と喜びでいっぱいだったのです。不安は少しあっても、「きっと大丈夫」と自分に言い聞かせて、妊娠したら準備するものを検索したりしていました。しかし、その願いもむなしく、入院した翌日の診察で子宮外妊娠が確定し、その日のうちに手術で摘出することになりました。さらに受精卵は子宮と卵巣を繋いでいる左の卵管にあったため、左の卵管ごと切除しなくてはならなかったのです。そのため、術後に機能するのは右卵管のみとなりました。
いろいろな喪失感が重なったのと、手術以降、ホルモンバランスが大きく崩れてしまい、感情が抑えられなくなりました。昼間、人と会っている時はケロッとしていても、夜になると泣き叫ぶような日々が半年以上続きました。夫は何も言わずに、ただ私の気持ちに寄り添いながら励ましてくれましたが、祈っても、祈っても、なかなか傷が癒えないまま時だけが過ぎていきました。
それからしばらくして、同じ教団で親しくさせてもらっている先輩ご家族が、奉仕のために来沖してくださいました。当時そのご家族には二人のお子さんがいらっしゃったのですが、下のお子さんは里子ちゃんでした。里子であると聞かなければわからないほど、家族の一員としてすっかり馴染んでいるその子の姿を見て、「こういう家族の形もいいね」と夫婦で話し合うようになりました。
じつは、夫は牧師のかたわら、保護司の働きをしていて、保護観察の対象となる青年たちのほぼ全員が、家庭環境に恵まれなかった過去を持っていることにいつも心を痛めていました。「幼少期に彼らが温かい家庭で育っていたら、今とは違う将来があったかもしれないのに」とよく言っていたのです。
不妊治療に踏み出すことも一時は検討しましたが、保護司として青年たちと向き合う夫と対話する中で、里親登録の道に踏み出すことになりました。
最初の里子ちゃんが我が家にやってきたのは昨年の夏のこと。受け入れ初日の晩は乳児と過ごす嬉しさと、初めての子育てへの不安で眠れなかったのを覚えています。その子はすぐに家庭復帰し、現在わが家で一緒に暮らしている二番目の里子ちゃんは、生後五か月で迎えることになりました。裕香さんには昨年の秋、七か月くらいの時に抱っこしてもらいましたよね。「ユーユー(裕香)だよー!」と優しい声であやしてくれたのがとても嬉しかったです。実子もあきらめてはいませんが、最初の子育てに関しては、これが神様の開いてくださった扉なのだと素直に思えるようになりました。
裕香さんも娘さんが児童養護施設で働いていることもあり、共通の話題や施設で育つ子たちへの熱い思いをいつも語ってくださいますよね。もう少し、お話聞かせてくれませんか