特集 救いの歴史を子どもに伝えるために

日本キリスト改革長老教会 霞ヶ丘教会 牧師 平田 裕介


 私は、二人の小さな子どもの親として、これまで妻とともに、子ども向けの良い聖書の本を探してきました。その中で強く感じてきたのは、聖書に登場する個々の物語を扱った絵本は数多く存在する一方で、聖書全体の流れに基づいて神の救いのご計画を描き出し、さらに私たちの現在の信仰の歩みへと視野を広げてくれる子ども向けの日本語の本が、いかに少ないかという現実です。そのような中で、この『その と たれまく と じゅうじか』が日本語で出版されたことは、親として、また牧会者としても、心から歓迎すべき出来事だと感じています。
 よく、「中学生になると部活動などで忙しくなり、教会から子どもたちの姿が見えなくなる」という声を耳にします。この現実に対して、私たちは単に年齢や環境の変化として受け止めるだけでなく、それ以前の時期に、家庭や教会が子どもたちをどのように導いてきたのかという点を、改めて考える必要があるのではないでしょうか。
 幼稚園や小学校の頃から、個々の聖書のエピソードを断片的に知るだけでなく、聖書全体を貫く神の救いの歴史を学び、その中に自分自身も生かされているという自覚を育むことは、信仰形成において極めて重要です。そのような視点に立つとき、本書のように、子どもたちを福音の大きな物語へと招き入れる書籍が果たす役割は、非常に大きいと言えるでしょう。
 聖書は、単なる昔話の寄せ集めではありません。聖書全体は、罪に堕落した人間に対する神の贖いの歴史を啓示し、個々のエピソードは一貫して救い主イエス・キリストを指し示します。本書は、子どもにも分かりやすい言葉とイメージを用いながら、聖書を断片的な物語としてではなく、一つの壮大な「神の贖いの歴史・救いの物語」として理解するための視点を、明確に示しています。
 本書のテーマは、「神の臨在」、すなわち、神がご自身の民とともにおられるという、聖書全体を貫く真理です。エデンの園において神とともに歩んでいた人間は、罪によってその親しい交わりを失いました。しかし神は、ご自身の民を見捨てることなく、幕屋や神殿を通して臨在を示され、最終的には、御子イエス・キリストにおいて、「神が私たちとともにおられる」という現実を完全なかたちで成就されました。本書は、このインマヌエルの福音を、物語の軸として一貫して描いています。
 特に印象的なのは、繰り返し展開されていくリフレインのことばです。

 「かみと すむのは すばらしい
 だけど つみが あるから はいれない」
 「でもね きみの かわりに わたしが しんだ」

 この短いことばの中に、創造、堕落、贖いという聖書の中心的構造が、簡潔かつ明確に示されています。人間の罪によって断たれた神との交わりが、キリストの十字架の犠牲によって回復され、再び神の臨在へと招かれているという福音の核心が、子どもにも伝わる形で力強く表現されています。
 さらに重要なのは、このように聖書全体を貫くテーマを学ぶことが、子どもたちにとって、聖書を単なるおとぎ話や昔話としてではなく、「今の自分たちと関わる神の救いの歴史」として受け止める助けとなる点です。本書は、聖書の物語が過去の出来事にとどまらず、今を生きる私たち自身も、その贖いの歴史、救いの物語の中に生かされているということを、自然なかたちで教えてくれます。これは、信仰の形成において極めて重要な要素であり、本書の大きな強みの一つです。イエス・キリストを通して神とともに生きることこそが、私たち人間にとって最も幸いな道であるというメッセージは、子どもだけでなく、大人の読者の心にも深く響くでしょう。
 本書は、家庭での読み聞かせや教会学校の教材としてはもちろん、求道者を含む大人にとっても、福音の全体像を学ぶための入門書として有用です。簡潔でありながら聖書神学的にも裏打ちされた、イエス・キリストを中心とする本書が、多くの家庭と教会において用いられることを願うとともに、今後もこのような書籍が日本語で継続して出版されていくことを祈ります。