連載 伝わる言葉で伝える福音 第14回 「一本釣り」
青木保憲
1968年愛知県生まれ。小学校教員を経て牧師を志す。グレース宣教会牧師、同志社大学嘱託講師。映画と教会での説教をこよなく愛する、一男二女の父。
皆さんは、教会のイベントを周囲へ宣伝しようとするとき、チラシをどれくらい印刷しているだろうか? イベントの規模にもよるだろうが、例えばクリスマス集会やイースターコンサートなどの場合は、数千枚から数万枚発注している教会もあるだろう。格安印刷会社から段ボールが数十箱届けられるということが「年中行事」となっているかもしれない。
このやり方の前提になっているのは「下手な鉄砲、数撃ちゃ当たる」という感覚である。駅前や人が集まる場所にやって来て、道行く人を眺める。当然のことながら、誰がチラシに反応してくれるか分からないから、とりあえず手当たり次第にばら撒こう、ということになるのは必然である。そして五十枚よりは百枚、百枚よりは千枚撒いたほうがいい、ということになるため、「今日は〇〇枚配布できました!」となる。
よくあるのが「相手が嫌がらずに受け取ってくれました!」とか「笑顔で『ご苦労様』と言ってくれました!」という証しである。しかし、申し訳ない言い方になるが、このような感想はすべて「自分の鍛錬のため」には有効だが、それがチラシ配布の目的ではない。いつしかズレてしまっていると言わざるをえない。
チラシを作成する目的は、新しい方にそのイベントに来てもらうことである。キリスト教界の良さでもあるが、甘さでもあるのは、当初はしっかりとした目的意識で始まった企画が、いつしかその目的を外れ、どんな結果になっても「神様に感謝!」で終えられてしまうことである。
例えば、新しい方をお招きすることが目的のイベントが、いつしか信仰者が大胆に誰かをお誘いする「度胸試しの機会」に変質してしまうとか、伝道集会を開催しているのに、誰も決心者が与えられなくても「確かに神様の臨在があったよね」「あの人はもう心の中では信じていると思う」と口々に主観的な感想を言い合って終わるということである。
新来会者向けのイベントには、失敗や改善点は付き物である。それを踏まえて考えるなら、これからは鉄砲の精度を上げることを考えるべきである。つまり、数千枚、数万枚のチラシを作成してばら撒くより、たとえ十枚でも、そのイベントに興味を持った人にチラシが手渡され、そしてその中から一名でも二名でも来てくれる、というプロセスを大事にしたいものである。「ばら撒き」に対して「一本釣り」と命名してもいい。
前回、私がお伝えしたのが、このやり方である。もちろん事前にその企画に関しては大学側に許可を取り、そして「興味ある人だけが持って行く」というやり方で行うことも伝えての実施である(これをしないと後からややこしくなる)。またストレートな「宗教勧誘」となる企画は、そもそも学生たちには提示しない。
これらきちんと押さえるべきことを押さえたら、あとは「一本釣り」である。大切なのは、こちらが相手にプッシュするのではなく、「こんなのもありますよ」と提示するだけで、後はそのイベントに誘いたい人の自主性に任せることである。
チラシという媒体についても、よくよく考えるべきである。イベントの規模とチラシの印刷枚数が比例するように錯覚してしまうことがある。しかし現実はそうではない。これだけ世の中が細分化され、拡散されると、みんなが良いと思うものなど、本当に数少なくなっている。だからこそ、自分たちが行うイベントの方向性や分野をよく精査し、それに興味を持つ人に、より早く正確に情報が届けられるよう注力すべきである。
私たちは伝えたいという思いが強いあまり、伝わるかどうか、相手の受け止め方はどうか、というところまで気を回すことができない現状にあるのではないだろうか? 今一度確認すべき事柄だと思う。
伝えるためには、伝えてもらいたいというニーズをきちんと踏まえて、ある程度予想できる範囲で相手に向き合うことである。「一本釣り」が最も必要なやり方だと私は考えている。