特別寄稿 『みんなで育てる神の民 「福音する」教会の次世代宣教』刊行にあたって
原雅幸 日本福音キリスト教会連合 キリスト教たんぽぽ教会牧師
朝九時から教会学校(日曜学校)、十時半から礼拝。これが戦後の日本の多くの教会に行き渡った慣習だろう。当たり前のことだが、このような時間割は聖書的な権威をもっているわけではなく、ある時代の教会が始め、ある程度の妥当性があったがゆえに広まり、定着したのである。けれども、その習慣が半世紀以上続くと、もはやこれは何か絶対不可侵の、変えられないものに思えてくる。幼いころに日曜学校に通い、信仰に導かれ、大人になり、自分の子を教会学校に連れて行き、今度は孫たちが…そうやって切れ目なく続いていくものだと考えてしまう。しかし、今やこの体制を維持することに大きな困難を抱えている教会は少なくない。けれども、他に別の方法があるとは考えもしないから、教師が少なくなっても、子どもが一人も来なくても、朝九時から教会学校(日曜学校)と、十時半から礼拝を繰り返すほかない。どこかで何かが違っている?そんな心の声が浮かんでは消え、消えては浮かぶ。もし、あなたがそういう状況にあるなら、本書は「別の方法」を考えていく手助けになること請け合いである。
本書は、「教会学校」をやめても、子どもたちへの伝道、信仰継承をあきらめず、むしろ活性化させることに取り組んだ、小さな地域教会(会員数50人弱)のケーススタディだ。その内容は、私たちの教会が属する日本福音キリスト教会連合の南関東地区・CS教師研修会で分かち合ったものを土台にしている。「~ですが、何か」という言い回しは、ある時期にネットで流行った「ネットスラング」であり、ある世代より上には、無礼な印象を与えることだろう。半世紀以上続いてきた教会の伝統に風穴をあけたいと願った著者の意気込み、いや勇み足、はては若気の至りと受け止めていただければと思い、研修会のテーマに掲げさせていただいた。こんな挑戦的なテーマでCS教師が集まるのかとひやひやしたが、蓋をあければ満員御礼。研修会終了後から、書籍化の声が寄せられ、むしろ私の方が戸惑いながらもこの時代の教会に求められているものがあることを痛感した次第である。
「教会学校」をやめても、子どもたちへの伝道、信仰継承を活性化するためには、大きく分けて3つの「発明」がある。ひとつは礼拝式後に、大人が小グループで、礼拝の「恵みの分かち合い」をすること。もうひとつは大人と子ども一緒の礼拝に「宣教導入」という式次第を設けること。そして最後に、美味しい「昼食」を用意することである。実に、この3つは、子どもが一人もいなくても始められることばかり。子どもたちへの伝道、信仰継承というと、子ども(次世代)に何をしたらいいのかということに思いが向きやすい。しかし、私たちが導かれたのは、子どもたちにどのような信仰者としての生涯を生きてほしいのかを大人が実践してみせる、それも幸せに実践することだった。
人間、楽しそうなところに引き寄せられるものである。もし大人たちがつまらなそうに礼拝し、ヒイヒイ言いながら教会の奉仕を回しているとすれば、どんなにイエス様の福音が素晴らしいと言われても、子どもには伝わらない。神のことばには力があり、御言葉を聴く人の心を燃やす。けれども、一人では燃え続けることが難しい。燃えていない火を継承することは不可能である。教会が信仰の火を、焚火のように育てるとき、神様はその輪に子どもたちを送ってくださると私は信じている。
本書で展開する「発明」はそのための小さな仕掛けに過ぎず、神様に用いていただかなければ何の力もない。そしてこの時代、この社会において、かつてのような「みんな同じやり方」は通用しないだろう。「最適解」は教会毎に異なる。ひとつの地域教会の個別具体的な実践を紹介し、その中にある本質を、読者の皆さんがつかむことができたら、そうして、それぞれの教会の「焚火」がもう一度息を吹き返すことができたら、これが私の切なる願いである。ということで、もはや「まな板の上の鯉」。煮るなり、焼くなり、お好きにどうぞ!