371 時代を見る眼 戦後80年、次世代へつなぎたい願い〔2〕 バイオエシックスへの出発〜ベトナム戦争のただ中から未来へ

バイオエシックス(生命倫理)研究者
早稲田大学名誉教授
木村 利人

 

「いのち」を多様な局面から考える未来への研究分野としての「バイオエシックス(生命倫理)」を私が構想したのは、1970年から72年までの南ベトナム・サイゴン大学での教育・研究や戦時下の生活体験によります。
今年は、ベトナム戦争終結50周年ですが、今も当時のサイゴンで過ごした緊迫の日々を思い出します。学生の平和デモを鎮圧するための催涙ガスは、大通りに面した我が家の中にも入り込み、目や肌の強烈な痛みを経験し、解放軍からの深夜の「手製ミサイル爆弾」の恐怖にも襲われました。
Bios(生命・生物・生活)の尊厳を守り、人権と平和を基盤としつつ、ethikos(モラルと法的・社会的意味合い)を踏まえた現在と未来への行動基準としての、私の「バイオエシックス」の構想は、一人の学生との出会いが契機で生まれました。
ある日の午後、右片腕のない男子学生が来宅し、「先生、海産物を食べすぎないように。野菜もよく煮て食べてください」と語り、米軍が枯葉作戦として解放軍の農地に散布している薬剤が原因で出生障害児や死産も増えていると知らされました。まさに、民族皆殺しの「ジェノ(遺伝子/民族)・サイド(殺し)」のただ中に暮らしていることに慄然としました。
このサイゴン大学での任務を終えてちょうど40年後の2012年8月31日に、私たち夫婦が乗船した「地球一周のピース・ボート」は、中部ベトナムのダナンに寄港し、私たちは「枯葉剤被害者支援センター」を訪問しました。
そこでは、少女たちが、現地の民謡を踊って大歓迎してくれました。実は、この子どもたちは全員聴覚障害で、演奏している民謡曲は聞こえず、先生の合図で、一同揃って私たちのために踊ってくれたのです。
ベトナム戦争が終わっても枯葉剤による遺伝的影響が世代を超えて障害をもたらしている深刻な事態に深い悲しみを覚え、帰船後の報告会ではセンターへの救援をアピールしました。
数年前、社会人向けの大学院で私の講義後、一人の受講生から「以前勤務した会社で、軍用枯葉剤原料を生産・輸出した」と聞き、驚いたことがありました。日本を再び軍需国家にしてはなりません。
未来展望と社会変革への思いを込めた超・学際的学問/市民活動の出発点としての私の「バイオエシックス」のルーツとなった聖書の一節を、ここに記しておきたいと思います。
「あなたはいのちを選びなさい」(旧約聖書・申命記30章19節)