連載 ニャン次郎の哲学的冒険 人間社会を生き抜くための西洋哲学入門 第5回 「絶対精神は成長する?」神を哲学化した哲学者ヘーゲル
ニャン次郎(代筆・岡村直樹)
ニャン次郎(主猫公)
クリスチャンで大学生の飼い主を持つ茶トラ猫。哲学の授業で困っている飼い主を助けるため、歴史上の様々な哲学者に直接会って話を聞く旅に出ることに!
岡村直樹(代筆者)
ニャン次郎の代筆者。
東京基督教大学の先生で、出身校であるトリニティー神学校ではキリスト教哲学を専攻。
こんにちは! ニャン次郎です。
ボクの飼い主のお兄さんは、大学の哲学のクラスで教わった「ヘーゲルの絶対精神」をどう理解したらよいかわからず、とても困っています。そんなお兄さんを助けるため、今回は有名なドイツの哲学者のヘーゲル先生に会ってお話を聞いてきました。
ヴィルヘルム・ヘーゲル先生(一七七〇〜一八三一年)は、ドイツのシュトゥットガルトの出身です。厳格で勤勉なお父さんは公務員で、また熱心なルター派のクリスチャンでした。ヘーゲル先生自身も神学の学びに興味を持ち、テュービンゲン神学校に入学しましたが、卒業後は牧師にはならず、友人の紹介でイェーナ大学の先生となりました。イェーナでは、フランス皇帝のナポレオンさんが、ドイツとの戦いに勝って入城する姿を目撃しました。ヘーゲル先生は、自由と平等を説くフランス革命のスピリットを掲げるナポレオンさんを高く評価していたので、大喜びだったそうです。
ヘーゲル先生の哲学の核心部分には、「弁証法のプロセスによって、世界はどんどん発展していく!」という考え方があります。ヘーゲル先生は、その「弁証法」を次のように説明してくれました。
「ニャン次郎くんの好きなことは何かな?」
「のびのびとくつろぐことです。」
「嫌なことは?」
「新しい猫が我が家に来たことです。びっくりして、思わずシャーッ!と言ってしまいました。」
「今も嫌かい?」
「いいえ。その後、お互いを理解して仲良くなりました。今はニャン三郎といっしょに、前より楽しくのびのびしています。」
「おお、それは良かったね。実は今のニャン次郎くんのストーリーが、『弁証法』のプロセスなんだよ! ある状況(テーゼ)に対して、それと反対の状況(アンチテーゼ)が現れ、その対立を通して、新たな理解や状態(ジンテーゼ)へと進んでいく。この繰り返しが『弁証法』なんだ! たとえば王様がいた頃のフランスに、革命によって混乱が生まれ、その後ナポレオンさんによって秩序と自由がもたらされた。こんな感じで、世界はこれからも発展していくんだ。」
またさらにヘーゲル先生は、世界の歴史の中心にあるものを「絶対精神」と呼びました。「絶対精神」とは、「完成に向けて発展を続ける、とてつもなく大きな心」のようなものです。「絶対」と付いていますが、それは「完成している」という意味ではありません。なぜなら、「絶対精神」も「弁証法」による繰り返しの変化のプロセスの中にあるからです。人間の意識や成長もまた「絶対精神」の一部です。例えると、「絶対精神」が「人類全体の発展の物語」なら、人間は「物語の登場人物」になります。人間が自分自身を深く理解し、世界の歴史の中で「弁証法的」に成長することにより、結果として「絶対精神」の発展を推し進めるのです。
そして、なんとヘーゲル先生は、「絶対精神」は神と同一であると考えました。ヘーゲル先生の説く神は、人間と共に変化しながら成長する精神的存在ということになりますから、聖書の教える神とは大きく違いますね。
ヘーゲル先生は、前回紹介したカント先生が神の存在を「人間の理性の外側」に置いたことに不満を抱いており、人間の存在を神の存在の一部と見ることによってそれを解決しようとしたのだと思います。ヘーゲル先生が、当時イギリスやフランスで流行していた理神論の神(創造後は世界に介入しない神)を受け入れず、人間とつながっている神を説いたという点は、評価に値するかもしれません。
しかし同時に、「ヘーゲルの神は、頭の中で哲学化された神だ!」といった批判もあります。確かにヘーゲル先生の哲学から見えてくる神は、とても抽象的で人間や世界と区別されない存在です。そのような神は、祈りや信仰の対象にはなりにくいですね。
ということで、これからお兄さんに報告します。
次回は、ヘーゲル先生に反旗を翻したキルケゴール先生からお話を聞きます。
ニャン次郎でした!