370 時代を見る眼 戦後80年、次世代へつなぎたい願い〔1〕 「幸せなら手をたたこう」を作詞して
バイオエシックス(生命倫理)研究者
早稲田大学名誉教授
木村 利
今年は、太平洋戦争が終わって80年目を迎えます。この80年間、日本がどこの国とも戦争していないことはなんと素晴らしいことでしょう。この状態がずっと続くことを願わずにはいられません。
僕は、終戦時には小学校6年生で、東京の親元を離れて学童集団疎開で山梨県のお寺にいました。8月15日の暑い夏の日、前庭に並んでラジオで天皇陛下の勅語を聞きました。僕たちには何を言っているのかわかりませんでしたが、先生は、「日本は負けた!」と涙を流しました。本当に天地がひっくり返るほど驚き、一同大声で泣きました。
この戦争で、アジア全体で約2000万人、日本人約310万人が犠牲になりました。
1959年、大学院生だった僕は、フィリピンで開催のYMCA「公衆衛生ワークキャンプ」に参加しました。開催地の小漁村のダグパンで、日本軍と戦った元兵士にも出会い、大きなショックを受けました。この美しい砂浜が日本とフィリピン両軍との激戦地だったことを、全く知りませんでした。
村役場のビルの壁には砲弾の大きな跡があり、海岸には日本軍の上陸用舟艇が、砂に埋もれていました。かつての侵略国日本との戦争で家族ともども被害を受けたこの村への、僕が戦後初の日本からの訪問者で、冷たい視線も浴びました。
しかし、同じワーク・グループで親しい友人となったランデイ君は、「実は日本人が来たら殺したいと思っていた!」と告白し、続けてこう言いました。
「リヒト、確かに僕の父は日本軍との戦争で死んだ! 本当に悲しく苦しい思い出だけど、戦争が終わった今、僕たちは平和の幸せを生きている。二度と再び戦わないよう誓い合おう! 僕たちは、キリストにあってトモダチだ!」と両手を差し伸べてくれたのです。
この彼の「愛と赦し」の言葉に感動し、その日の夕方の礼拝で読んだ詩篇47篇から「神をほめたたえて手をたたこう」という賛歌をヒントにして、子どもたちが校庭で歌っていた民謡のメロディに合わせて僕が作詞したのが、「幸せなら手をたたこう」です。
この「愛と赦しと平和」の歌声を、今こそますます大きく世界中に広げましょう。
(参考:西岡由香 作、木村利人 監修、『漫画 幸せなら手をたたこう誕生物語』いのちのことば社、2024/木村利人 著『戦争・平和・いのちを考える』キリスト新聞社、2015)